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遠白し
茂吉の「赤光」初版本の巻頭には有名な「悲報来」の連作がある。左千夫の急死を赤彦に知らせる時の歌である。今なら電話ですむのに、茂吉は上諏訪の布半旅館から、高木村の赤彦宅まで夜半を走った。(余計なことだが、二キロほどの道のりを全部走ったのではない。途中で人力車を拾ったのだ。茂吉の「思出す事ども」にそう書いている。)その連作の終りのほうに
諏訪のうみに遠白(とほじろ)く立つ流波(ながれなみ)つばらつばらに見んと思へや
の一首がある。諏訪中学校に5年間通って毎日諏訪湖を眺めた私には「遠白く立つ流波」という詞句がいたく懐かしく思われる。「遠白く」は文字通り「遠く白い」という意味だ。この歌によって私は「遠白し」という形容詞を覚えた。この言葉を考えるとすぐ心に浮かぶもう一首の歌は、土屋文明第二歌集「往還集」の
ほのぼのと明け来る山にかかりたる滝遠白く見たるあはれさ
という歌である。「熊野勝浦」二首の一つで、もう一首の「諸共(もろとも)にあはれとは云へ舟はててかなたの山にかかる滝つ瀬」とともに私の愛誦おかざるものであるが、二首とも岩波文庫の土屋文明歌集には省かれているのが残念だ。
さてこの「遠白し」という形容詞の源は万葉集にある。山部赤人が、明日香の雷丘に登った時の長歌(三二三)の中に、
明日香の古き都は 山高み川とほしろし・・・
と見える。この「とほしろし」は、遠く白い意でなく、雄大の意だと近頃の万葉集の注釈書は説明する。明日香のあんな箱庭みたいな風景を「山は高く、川は雄大だ」などと言うのはおかしいがそれが正しいならば、赤人は写実よりも観念で表現したことになる。この「とほしろし」は、万葉集には大伴家持が赤人を模して同様な使い方をしているだけであと例はない。そして文章は別として歌の上では平安朝以後も使われなかったようで、近代になって「遠白し」として復活したのである。この万葉語は、橋本進吉の「『とほしろし』考」(「上代語の研究」所収)によって、はっきりと偉大雄大の意であると定められた。白シのロと、トホシロシのロとは、上代仮名遣の甲類乙類の差があるという点と、日本書紀の「大小之魚」に、トホシロクチヒサキの古訓があるなどを理由としている。これは動かせないだろう。しかし近代に於いて「遠く白い」意で歌人が使用したことも動かせない。これは歌人の恣意でなく、既に明治二十六年刊の山田美妙編の日本大辞書に「遠ク白ク見エル」とある由だ。茂吉の「遠白し」の用例は六例ほど。広辞苑等最近の辞書が、この「遠白し」の意の説明を省いているのは、けしからんことではないか。なお憲吉や茂吉の使った「遠白波}は、この「遠白し」から出て来た言葉であろう。(昭和61・2)
筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者
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寸言 |
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掲示板投稿作選歌後記
初稿の段階で、字足らずや字余りの作品が多かった。
短歌特有の調べ、うねりのようなものは、この定型から生まれる。
言わば、切りつめた表現の中にこそ緊張感が生じ、スリルとサスペンスを読者に感じさせることが出来るのです。
調べを大切にしよう。
雁部 貞夫(新アララギ選者)
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