このページを見ている方は短歌に何らかの興味を持っている人だろうと思います。作品を投稿される方はさらに一歩進んだ人達でしょう。短歌というのは誰にでも作れるものですから、「思い立ったが吉日」で、興味を持ったときにすぐ作ってみるのが一つのきっかけになると思います。
作ってみたいと思うが「どんな勉強をすればよいのか」という質問を受けることがあります。土屋文明の「新短歌入門」という本が筑摩書房から出ていますので、まずこの本を読んでみることをお勧めしています。
てっとり早く知った上で、このページに参加したいという人達のために、土屋文明の言葉をかいつまんで、紹介します。
短歌というのは「誰にでも作れる小詩形」ではありますが、まず、「好き」でないと作れないものです。短歌を作ってもお金にはなりませんし、世間的に華々しい評価を得られるようなものではありません。そういう栄達の道を求めている人には向かないものです。「自分をさらけ出す」ことが上達の秘訣ですから、「好き」である上に一種の覚悟がなくては作りつづけることは出来ないでしょう。
「誰にでも作れる」ものですから、器用な人はすぐに短歌の形を呑み込んで、「短歌の形をした文字並べ」が出来るようになりますが、そういう器用な人はしばしば「短歌の本質」に裏切られて挫折してしまいがちです。愚直に作りつづけて習練を積むことが大切です。いろいろな事が何でも出来る器用な人は大抵上達はしないものです。
さらに言えば、自分なりに何か「強い自信を持っている人」は、その持っている「自信」を生かして行く方がよくて、短歌の勉強には妨げとなることが多いのです。つつましい、へりくだった態度で世の中に生きて行こうとする人、何か自分の中に「弱さ」を感じている人が短歌向きと言えるでしょう。文学の形式としては「マイノリティ」(少数者)の道と言えるものです。「内省の文学」とも言えます。
ただ、余り難しいことを考えずに、まず作ってみることがいいでしょう。いろいろの事は作っているうちに段々と分かってくるものです。私達の「新アララギ」で短歌を作るには、空想でなく、現実を歌にすることが肝心で、それだけを心に持って作ってみるようにして下さい。作りはじめたら「継続」が大切です。 |