短歌雑記帳

「歌言葉雑記」抄

昼深し

 今年のアララギ夏期歌会に提出された歌のなかに「昼ふかき庭の木蔭をけふ稀に黒き揚羽のたゆたひて去る」という一首があった。この歌の初句について土屋文明先生は「『昼ふかき』という言い方は赤彦が発明したらしい。赤彦語だね。赤彦自身が『昼深き』と使ってみたよと或る時言ったことがある。それから『昼ふけし、昼ふけて』というのも本来はないんだ。」と言われた。この歌のあとに「降る如く若葉の匂ふ島道に木洩れ日動く午ふけし頃」という別の作者の歌が出て来た時も「午ふけし頃」を「赤彦だな」とまた言われた。ではその赤彦の歌を次に引いてみよう。

  草の藪はいや昼深く明るめれこの悲しみを守る心かな
  昼深し禿げしボーイの頭動くデッキの上の空は青しも
  昼深き桜ぐもりにするすると青き羽織をぬぎし子らはも
  昼ふくる土用の海の光り波ひかり揺りつつ嵐はつのる
  冬菜まくとかき平(な)らしたる土明かしもの幽けきは昼ふけしなり

 初めから三首までが歌集「切火」にあり、あとは「氷魚」と「太きょ集」に見える歌である。今の我々は「昼深く」とか「昼ふくる」とかいう言葉にぶつかっても、少しも違和感を感じないし、もう当り前の表現だと思っている。夏季歌会に出詠した二人の作者も、それが赤彦に始まる表現であるとはつゆ知らず、ごく普通の言い方として使用したにすぎないのであろう。しかしこれは古典には全く見えない。先例もないらしい。

 国歌大観によって古歌の用例を調べると、夜のほうは、 
  さよふけて・さよふかき・さよふかみ・さよふけにけり
  よはふけて・よはふけぬらし・よはふかくとも......
等が多く見つかる。(よるふけてという形はない。これは近代の用法なのだ。)しかし「ひるふけて・ひるふかき」の類は一切ない。そこに古代の日本人の昼と夜に対する感情の差があったのであろう。その感じ方は近代にまで及んだのだが、「夜もすがら」に対して「日もすがら」が出来るように、赤彦に到って「昼深し」という言い方が初めて生まれて来たようである。あるいは赤彦以前にも誰かやっているだろうか。北原白秋の「大きなる手があらはれて昼ふかし上から卵をつかみけるかも」は大正四年八月刊の「雲母集」にある作。赤彦の「切火」の「草の藪はいや昼深く」は、大正二年作だから恐らく赤彦の方が先行していると思われる。ここは白秋が赤彦の影響を受けたのではないか。

 なお「昼つ方」「昼さがり」という用語についても考察したいと思ったが、余白がなくなった。ヒルはヨルに対する語であるから、元来は日の出から日の入りまでの間をさすので、万葉集は皆その意で使われていることを付記しておく。     (昭和60・12)

          筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者


寸言


掲示板投稿作選歌後記

今月は繰り返し、理屈や観念の世界にはまらずに、実に即して歌おうと述べてきました。実に即して歌うことは、私どもの基本的な姿勢なのです。アララギの歌の原点は、正岡子規にあるといえます。子規は満35歳を目前にして亡くなりましたが、今日の俳句、短歌を誕生させるための革新をした偉人です。子規に直接学んだ、伊藤左千夫、長塚節などが、子規の唱えた「写生」を旗印にして後にアララギを興しました。「先人の歌」に抄出した「松の歌」を読んでください。子規の「写生」とはどんなものなのか、よくうかがい知ることができましょう。100年を経た現在までにいろいろな変化はありますが、私どもは「写生・写実」を基本として歌っているのです。


                    星野 清(新アララギ編集委員)



バックナンバー