短歌雑記帳

宮地伸一の「アララギ作品評」


○滅びゆく地主と吾が知るいまにして堪へ難し憧れし革命のことも  古山 蔚

【宮地伸一】表現の流れが順直でむしろ定石的な句法だと思う。「地主」と「革命」との対照が際だっていて、その二つをつなぐ感情が「堪へ難し憧れし」では、いくらか言いすぎの感がないでもない。特に「堪へ難し」は、浮きすぎて、作歌的手細工が目立つという気がする。

【小暮政次】これは甚だ間の抜けた様な心理だが、こういう心理は大なり小なり吾々に共通している。それを此作者の様に正直に言わないで、利口そうな顔をしているだけであろう。私はそういう意味で取上げるべき歌だと思う。
 表現については、宮地君のいう順直というのは当らぬが、形も言葉も、固くきまっている。宮地君には、もっと内容を突込んで言って貰いたかった。

○瞞着されし覚えのなきも淋しくてかく石のごと老に入りたり  入江 眞雄

【小暮政次】表現が穏かだし、老境に入る心持を歌っているので、目にはつかない方の歌だが、心のひかれるところはある。だまされず、ごまかされずに、此の世の中に長く生き得た、そういう生き方を反省することのあじけなさをとり上げたのは一つの特色であろう。「石のごと」もこのまま受入れるべきであろう。

【宮地伸一】小暮氏がこの歌を取り上げたのは、こういう老境の感慨に共鳴されたのか。僕は作品としては不満足ではないが、「淋しくてかく石のごと」あたりは常套的な批評の態度を避けずにいえば、やはり安易に過ぎはしないかという懸念が生ずる。

【小暮政次附記】私も宮地君のような批評のあることは考えて、此の歌をとり上げたのは「共鳴」とは少しちがう、私の見方である。「淋しくて」は後出河村君の「清き」よりは自然ではなかろうか。

                昭和二十七年十一月号

 (漢字は新字体に、仮名は新仮名遣いに書き換えました。)



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