作品紹介

若手会員の作品抜粋



(平成12年11月号)★印は新仮名遣い


  東京 臼井 慶宣

夜明け前剥き出しにされしこの胸に嘆息の夏は差し込んで来る

秋の音と相響きたる「新世界」我が新世界の何処にありや


  東京 坂本 智美 ★

間違いをきっぱり否定し「おかしい」と言える勇気をくれた先輩

「もう寝なさい」二時を過ぎるとやって来るダックスフンドの若夫婦たち


  朝霞 松浦 真理子 ★

君の言葉予想しながら書いている今夜の電話私の台詞

こんな日々などと言っても十年も待てばすべてはなつかしき日々


  埼玉 松川 秀人 ★

ドンチャンと歌い踊ったサミットも終われば何も残るものなし

沖縄の平和の叫びは宴会の笑いに消され時は過ぎゆく


  大阪 大木 恵理子 ★

出張の多き支店長がバレンタインデーは社内で新聞を広げて過ごす

支店長の机の前に包置く笑顔満面チョコを見つめぬ


  神奈川 高村 淑子 ★

「本当だ」と口にした瞬間にうそもまことも「本当」になる

珍しく私が「会いたい」と言ったその週末に来てくれたあなた


  ニューヨーク 倉田 未歩 ★

前進より後退しているこの未歩を後目に時は未来へ進む

未来を歩くはずのわたしはどこに行く歩くところが吾が未来なり


  京都 下野 雅史

右にゆき左にゆきて迷ふのみ僕の心に出口が見えず

不変などこの世になしと思ふまで左大文字の火が消えてゆく


  兵庫 小泉 政也 ★

後悔が目に見えるので今日はもう誰ひとりにも会いたくなし

いつまでも直進だけでは駄目なのだ知りつつ今日もアクセルを踏む


  スイス 森 良子 ★

賀茂川にあさりいし鳥飛び立ちぬ白鷺かと見上げて母のつぶやく

鏡の中を覗きこみたり後より吾に声掛くる青年のいて


  札幌 村上 晶子 ★

月の無き夜に蛍ら現われて君とわれとを囲みて光る

街角でギター鳴らして喉嗄らすその若き顔にかすかな憂い


  西宮 北夙川 不可止

気がつけば吾ら二人となりてゐつラヴェルのパバーヌかかる茶房に

立秋を過ぎしに暑さつづき居て今年も京の送り火を見ず


  ビデン 尾部 論

昼下がり起き出だしたる娼婦等のアンニュイ漂ふここラング通り

潮騒を聞きつつ汝を抱きたる汝の身も心も砕くつもりで

選者の歌


宮地 伸一

這ひのぼるヒヨドリジョウゴの真上に来て月蝕は今極まらむとす

ケイタイは手ぐさともなる若きらに我も取り出す電車のなかに



佐々木 忠郎

みづうみの岸に連らなる町の灯を煌めかせ降る比叡の雨は

湖の面は比叡のみ寺の鐘の音に震ふかに見ゆ杉谷の果て



吉村 睦人

この見ゆる下界のともしびに誘はれて若き僧らは下りゆきしか

わがごとく老いたる一人まじりたり廊下連なりゆく新発意の中に



雁部 貞夫

赤彦憲吉茂吉文明も宿りける大正の世の宿坊か此処は

聖と俗の関はり友と語る間も光増しゆく湖の辺の街



新津 澄子

新アララギ比叡山歌会を乞ひ祈みて去年は乾杯のことば長かりき

根本中堂の朝事の太鼓ひびく五時五十五分君のみ魂は天翔りたり



三宅 奈緒子

硫黄の香ふくむ湿りし風吹きてもの音もなし灰降りしまち

くろぐろと泥流帯の凝固して見えわたるなりつよき夏日に



小谷 稔

継ぐ子なき家と知りつつそのめぐりに兄は桜を花桃を植う

ふるさとに老いゆく兄は果樹よりも目を楽しますと花木を増やす



添田 博彬

読経済み祝の膳と賑はふなか母は静かに微笑みてをり

思ふままに暮らせと母にわが言ふもやうやく素直に理解されゐむ



石井 登喜夫

紙屋町に来れば金君を思ひ出す北朝鮮は変るだらうか

夏来ぬと燃ゆる陽炎こころあれや征きし友等はこの海のうへ

先人の歌


正岡 子規

佐保神の別れかなしも来ん春にふたたび逢はんわれならなくに

いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす



伊藤 左千夫

よき日には庭にゆさぶり雨の日は家とよもして児らが遊ぶも

冬の夜の夜のしづまりにぺんの音耳に入り来つ我がぺんの音



長塚 節

小夜ふけにさきて散るとふ稗草のひそやかにして秋さりぬらむ

おしなべて木草に露を置かむとぞ夜空は水の滴るが如



中村 憲吉

ニコライの屋根みてあれば樹のかなた学校のベルの鳴りて居るかな

秋浅き木の下道を少女らはおほむねかろく靴ふみ来るも



斉藤 茂吉

萱ざうの小さき萌を見てをれば胸のあたりがうれしくなりぬ

木のもとに梅はめば酸しをさな妻ひとにさにづらふ時たちにけり



土屋 文明

夕ぐるるちまたゆく人もの言はずもの言はぬ顔にまなこ光れり

休暇となり帰らずに居る下宿部屋思はぬところに夕影のさす