作品紹介

選者等の歌
(平成24年6月号) < *印 新仮名遣い>


  三 鷹 三宅 奈緒子

ひさびさに出で来て歩む「風の径(みち)」風はさやげど花はいまだし
時はやく過ぐる思ひに歩みつぐこの午後をヤマボウシ冬木々の下


  東 京 吉村 睦人

そのめぐりに清きかをりを保ちつつ咲きつづきゐる駿河台匂ひ
朝の日のさし来し時にややしるく駿河台匂ひはかをりを立てぬ


  奈 良 小谷 稔

母保ちし手紙をそれぞれ認(したた)めしわがはらからの五人に戻す
母遺ししその子らよりの手紙あまた繰り返し読みしか紙のけば立つ


  東 京 雁部 貞夫

下町育ちの吾にも判らぬ思案橋江戸の切絵図眺めてをれど
江戸の世に船宿あまたありしといふ思案橋辺りか高速道の蔭に


  さいたま 倉林 美千子

働きて得たる休暇に訪ひたりとモンサンミシェルより二人の便り
ヨーロッパの不況のニュース伝はれば便りなき子等を案じねむりき


  東 京 實藤 恒子

かくまでに沈む心のすべなくて多摩の横山に落つる日を見ぬ
けふ来ればベッドに己が手を描きゐる癌の疑ひはれし妹


  四日市 大井 力

谷の奥の梅林おぼろに光(かげ)まとふ雲より半月あらはれ出でて
ダムに沈みし村の代替用地にて豆試し麦を試しし果ての梅林


  小 山 星野 清

老い衰へ呆けし妻に因れるとて死は報ぜらる一年を過ぎて
ただ一度同窓会に出で来しは地元地裁よりのお忍びなりき





  福 井 青木 道枝 *

息をのむ白さに一羽舞い降りて雪どけの水かがよう畦へ
過ぎし日のこのふたとせの悲しみは裡にピアノの音色をひらく


  札 幌 内田 弘

早春の雨降る街の薄明にマジックミラーのビル窓烟る
この角度に夕日が来ればビル街はそそくさとして昏みゆきたり


  横 浜 大窪 和子

心ゆくまで電話に長く語りしと思へど小さき苦さ残れる
始まりて終はりしことの幾つかを心にたたむ寂しむとなく


  那須塩原 小田 利文

吾が施設もエルピーダも遂に立ちゆかず国の力はかくも衰へて
放射性物質を微量に含むとも風心地好し三月の峡に


  東広島 米安 幸子

もう二度と口を利かぬと思ひしに鶯なくよと呼びてしまひぬ
若きらに教へつつ己が弱点に気付くと言へり何とは言はず


  島 田 八木 康子

風評に負けじと島田茶業組合けさ全国紙に一面広告を打つ
宝くじは弱者の納税と誰(た)が言ひし老夫婦肩寄せ列に連なる



若手会員の歌


  高 松 藤澤 有紀子 *

「瀬を早み」を讃岐の歌と説く祖母は「崇徳さん」と親しく呼びぬ



  宝 塚 有塚 夢 *

さくら待つこの時期が好きまだ一度も見ぬ恋人を待ってるようで



  大 阪

和久井 奈都子


何色に染められるのか春浅しまだ来ぬ恋の白きキャンバス



  奈 良 上南 裕 *

切削液の滴る中にノギス当て目盛り読まんと首をねじ込む




先人の歌


柴生田稔の歌 第一歌集「春山」より

沖ひろく海はなぎつつ眼下(まなした)の磯にとどろきてあがる白波
冬ざれし木下(こした)の土にかたくりのつぼみ萌ゆると今日は気づきつ
ふかぶかと垣の篠懸(すずかけ)の茂れるに朝の一とき心やすらぐ   盛夏
眼をよせてもの見るときのみどりごはをとめの頃のその母に似る
しづかにてわが行く山に幾たびか楢(なら)の広葉(ひろは)は音立てて落つ

作者28歳から36歳までの作品を収めた第一歌集から引いた。作者独自の鋭さを感じさせる名歌も多いが、ここでは身近な風景や日常を詠んだ佳作をあげてみた。

                     

バックナンバー