作品紹介

選者の歌
(平成25年6月号) < *印 新仮名遣い>


  三 鷹 三宅 奈緒子

おそき幸せといへど二人の幸せを祈りてゐしに今日の悲報よ 悼笹原登喜雄氏
学生服の日々より知りて変らざる君がまことに支へられ来し


  東 京 吉村 睦人

もう一区切仕事を為して寝ねむとす明日は久し振りの麻雀の会
雑誌の厚さなど言ひて何になる載りゐる歌の良し悪しを問へ


  奈 良 小谷 稔

踏みしむる雪のすがしく軋む音何年ぶり否何十年ぶりぞ
八十五のわが生まれ月みづからを祝ひて雪の金剛山(こんがう)に在り


  東 京 雁部 貞夫

自らの歌集は編まず逝きませり九十三年の生(せい)すがすがし 悼平岩不二男氏
「無我」の額仰ぎてともに微笑みき大会前夜の比叡(ひえ)の御山に


  さいたま 倉林 美千子

ベル鳴れば「帰つたな」と言ひ立ち上がる黙しゐし夫も吾も同時に
元気な二人の声にたちまち入れ替はる常淀みゐる家の空気が


  東 京 實藤 恒子

青畳をシルクのペルシャ絨緞を素足に踏みてたのしむ君も
藺草にほふ部屋に新聞を読む君をけふはしきりに鶯が呼ぶ


  四日市 大井 力

去年今年ひと日違はず節分草花をほぐせり霜立つ軒に
ぼろ市に煤けし火吹竹求め来ぬ何するといふあてはなけれど


  小 山 星野 清

とちりつつ息せきて地震情報を「落ちついて行動せよ」と告ぐるよ
車載カメラに捉へられしと次々に巨大隕石落下の映像



運営委員の歌


  福 井 青木 道枝 *

水辺へとつづくあしあと明らかに二種類ありて雪ふっくらと
雪あらく凍りてかがやく堆積よりとけくる水は舗道うるおす


  札 幌 内田 弘

マンションは密室なりと思ひつく最も小さき密室はトイレ
人類が滅亡しても三千の人工衛星が地球を巡る


  横 浜 大窪 和子

数年を遡りみる試算表に辛くも越え来し不況の幾つ
「値下げなんかもうするか」と汝はうそぶきて電話に向へば穏やかに言ふ


  那須塩原 小田 利文

懐かしき顔の揃ひて同胞の葬儀のごとし今日の閉所式
閉所式終へて茶話会にひそひそと次の職場の話を交す


  東広島 米安 幸子

太田川河口見下す江波山に被爆建物の気象館の在り
半数が爆死せるとも観測の任務遂げたり残る者にて


  島 田 八木 康子

南アルプスより流れくる地下水に仕上げたる豆腐屋も今月限りとぞいふ
「三十歳半ばを過ぎた老人」と綴る明治の小説ありき



若手会員の歌


  所 沢 斎藤 勇太 *

剣道の恩師と酒を酌み交わし親に言えない悩み打ち明ける



  尼 崎 有塚 夢 *

例うれば花盗人も現れず秘境でひっそり咲いております



  奈 良 上南 裕 *

将来は正規雇用と吹き込まれ派遣社員が職場を移る



  高 松 藤澤 有紀子

ベッドあり車椅子あり皆精一杯の姿で臨む卒業式




先人の歌


柴生田稔歌集『春山』より

春あらし吹きさわだてるあしたより蕾ほぐるる木蓮(もくれん)の花
春あらしやみてしづかに暮れゆくと障子をあけて部屋に坐(すわ)りぬ
霞みつつ空暮れゆきて片割れの黄色き月が一つかかれり
あをあをと水照り映えて流れたり雑木(ざふき)芽ぶける傾斜の下に
八重桜さかりの色のうるほひを仰ぎ見あげて我はおどろく

 *柴生田稔(1904〜91)は斎藤茂吉の指導を受けたアララギの代表的歌人の一人。『斎藤茂吉伝』『続斎藤茂吉伝』により読売文学賞を受賞するなど、作歌以外の分野でも大きな足跡を残している。ここに引いた歌は、昭和12年「春」14首中からの5首。情景の捉え方など、参考にしてほしい。

                     

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