作品紹介
 
選者の歌
(令和7年2月号) 
 
    東 京 雁部 貞夫
  アドラーのマダムは同郷会津人シャンパン二杯奢りくれたり
わが祖父の創めし「白糸納豆」を食みて育ちし少女の君か
 
    四日市 大井 力
  木曽長良越えて電車に揺られゆく古代の円居まどゐに似たる歌会に
富士山に最も遅き冠雪を伝へて温暖化の警鐘鳴らす
 
    柏 今野 英山
  名物の胃袋トリッパ料理はあきらめよう昨夜の女医の言ひつけ守りて
昼間には三十八度を越えしわれファド聴き山羊食べ足どりもどる
 
    横 浜 大窪 和子
  この雨は四十五分後に止みますとスマホの知らせにぴたり止みたり
投票所に置かれし鉛筆はHB候補者名書くも薄く苛立つ
 
    札 幌 阿知良 光治
  高二の孫修学旅行は京都奈良ばあちやんへとわらび餅の土産
亡き妻の好きだつた物をいつも聞く今度は何を供へてくれる
 
    神 戸 谷 夏井
  常世にあれどと旅人たびとの詠みし鞆の浦の榁の木いつまでいのち保つか
憲吉寓居の鉄柵かたく閉ぢられて暗き木蔭の家居たしかむ
 
 
運営委員の歌
 
    能 美 小田 利文
  五年ぶりの面会もガラス板越しにして寂し気に見ゆ叔母の笑顔も
値上げ分の切手を足して投函す上がらぬ年金の申告書類を
 
    生 駒 小松 昶
  被爆者は身体のみならず心こそが崩されてゆくと俯くひとり
施設にて父の使ひし黒きズボン名前縫ひつくるままに吾が穿く
 
    東 京 清野 八枝
  夫の足むくみて痛み増す不安ペースメーカー入れて間なきに
食事療法にむくみの消えて缶ビール日に一缶と決め夫退院す
 
    広 島 水野 康幸
  世に多くの苦しみある人思ひつつわが足の裏の痛み耐へたり
自転車停め浜辺に一人パン食へば雀の群れが足元に寄る
 
    島 田 八木 康子
  巣の跡に廃油一滴つけてみる場所を変へてとつぶやきながら
唐突に「私ですか」と亡き母の澄み透る声聞きて目覚めぬ
 
 
先人の歌
 

 ふたたびの九十九里に来て海に対ふ心通へる友らのなかに
 金大中だから平気と己が国を批判交へてガイドは語る
 血を流す牛に挑みてつぎつぎに死出の飾りか小旗付き銛バンデリラ刺す
 カスタネット激しく鳴らし床を踏むうれひもつ眼差しを宙にそそぎて
 君らにて継ぐがさだめとゆだねられ十年か「はしばみ」の五十周年
 先生のかたはらにゐるよろこびに励みき三十周年号の校正
 青き竹並べ小さき垣を結ふ日の暮れ早き庭にかがみて
 移り住みて十六年のわが庭に初めてのオハグロトンボただよふ
 わが窓より七十キロ隔て臨界の事故に眠れぬ東海村あり
 興る世の若き力の清しさか山田寺仏頭の面の清しさ
 流氷のひしめく原をゆく船に深きみどりの海かいま見つ
 一段と高く重なる氷塊に尾白鷲をり風に吹かれて
 夕かげの廊下のドアをくぐりくぐり「最後の晩餐」見むと近づく
 みどりなる丘のひとところ茶の色にさびさびと見ゆる街はアッシジ
 病得て職退くことも思ひしに老いて再びのヴァチカンに来つ
 小狸藻ありたる元の県庁堀復元されてただ水の澄む
 電車喜ぶ幼子とゐる橋の上に風に吹かれて来るおにやんま
 采配のあたりはづれをあげつらふ娯楽にはあらず国の政治は
 やすやすと餌のゴカイを掘るまでになれ親しみき砂の川辺に
 魚籠びく下げて夕べに帰るわれを待ち鯊揚げくれし母若かりき

 星野清先生の第三歌集『月の照る空』より。歌集「後記」によると、「新アララギ発刊の一九九八(平成一〇)年から六年間の、七七八首を収めた」とあり、今回はその前半部分から二〇首を掲載した。作者の短歌作品の特徴の一つでもある、その地や事象に深く踏み込んで詠まれた海外詠はこの歌集でも存分に鑑賞することができる。今回取り上げた作品は、二首目韓国(九八年五月)、三、四首目スペイン(九八年一〇月)、一三〜一五首目イタリア(二〇〇〇年三月)である(括弧内年月は旅行の時期)。
 五、六首目の作品は、「はしばみ」創刊五十周年記念号に「はしばみ五十周年に」と題して寄せた五首中の二首で、恩師生井武司から引き継いだ歌誌「はしばみ」への深い思いが伝わってくる。


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