作品紹介
 
選者の歌
(令和7年1月号) 
 
    東 京 雁部 貞夫
  君にささぐ彼の日用ゐし玉杯に山の葡萄酒なみなみ注ぎて 悼 櫛引孝三氏
利き酒を朝と昼とに繰り返し倉の少女に笑はれたりき 悼 加藤吉昭君
 
    四日市 大井 力
  倒れ伏しいよいよの父に掛けし声時経ていまはおぼろとなりぬ
曾祖父と呼ばるる刻が来てしまふ意地にて杖を持たざるままに
 
    柏 今野 英山
  赤褐色に艶めくマホガニーの古き家具ポルトの路地に珈琲すする
古き街を自在に走りし面影のトラムのレールはわが道しるべ
 
    横 浜 大窪 和子
  目白通りをバスに行きつつ遠き日に五味先生囲みし千歳鮨捜す
卒業年度それぞれなれど今に集ふ桜楓歌会半年ごとに
 
    札 幌 阿知良 光治
  今日はその一周忌なり早々と朝に妻の夢より覚めつ
法要の集ひに義妹の吾が妻を語る口調は妻のごとしも
 
    神 戸 谷 夏井
  ノーベル賞平和賞受賞をいかに聞くこの国統べるリーダーたちは
思ひ切り声を放つは心地よし週に一度の第九のレッスン
 
 
運営委員の歌
 
    能 美 小田 利文
  ペット型ロボットが笑ひ妻が笑ふかかる老後は思ひ見ざりき
子を見送り妻に見送られ発たむとす真新しき旅行鞄を提げて
 
    生 駒 小松 昶
  すり鉢の底なるステージにライト浴びピアノ伴奏に胸の高鳴る
伴奏の音かぞへゆきヴィオラ弾く一瞬ためらひ弓の動かず
 
    東 京 清野 八枝
  ハンガリーの大平原渡る幾万の野雁の中に青雁も見し 悼 佐藤恵美子様
月をかすめ幾万の黒鶴群れて飛ぶ歌の光景わが忘れ得ず
 
    広 島 水野 康幸
  インプラントのため三本の歯を抜きし妻二か月後にも微熱のありぬ
若き頃の吾の態度を謝らむと思ひつつ妻の肩を揉みをり
 
    島 田 八木 康子
  添へ書きの賀状仕舞ひに身が冷えてそれより幾年無沙汰誰にも
感謝して生きむと思ふわが巡りの人皆やさし足らざる我に
 
 
先人の歌
 

坪野 哲久(つぼの てっきゅう)<1906-1988>

 1925年「アララギ」に入会し島木赤彦に師事

 あたらしき世界国家のあくがれを説くともあらず子と地球儀回す                    『北の人』
 春潮のあらぶるきけば丘こゆる蝶のつばさもまだつよからず                    『一樹』
 木琴の音響かせて春分の路地キラキラし木の芽のひかり
                       『春服』
 われの一世ひとよせつなくとう なくありしこと憤怒のごとしこの悔恨は                     『碧巌』
 絶壁にひとり立つ二十代の感覚のいまだも消えず白髪しごく
                       『胡蝶夢』
 烏瓜からすうり 壁につるせばここが秋しゅらしゅらしゅらとひとりあそばな                  『人間旦暮』
 歌という小形式をさいなみて死ぬべきわれかそれもよかろう                    『同』


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