短歌作品投稿


今月の秀作と選評





藤丸

携帯を忘れた僕は自由人腿の震えぬ今日は不思議だ

一斉に揺れる吊革眺めてる赤い太陽の輝きのなか

友達と言える相手が見つからず僕が消えればいいのかと思う

また同じ朝が始まる月曜日ふつふつと沸く不満が消えず

明日よりは今日が大事とキーを打つ言いたい事がうまく言えずに

無知だから感じてしまう距離感か知らなかった言葉を知るたび思う



 「石井 登喜夫」 藤丸君は16歳の高校一年生ということだ。「携帯を」の一首は生まれて初めて作った歌だということで、一見して驚いたのだが、その後送られてくる作品に「するどい感性」が秘められていて、此処に上げた作品以外にも中々佳いものがあった。丁度新しいスポンジが水を吸い込むように、何もかも吸い込んでしまう年頃のようだ。この新鮮な感覚を大切にしてもらいたい。自分の感じたことを自分の言葉で素直に表現しつづけて頂きたい。見事なスタートを切ったと言えるだろう。



えめ

昼飯を買はむと小銭取り出せば秋さるらしも冷えてゐにけり

雨粒の様々なものを打ちつける様々な音を我は聞きゐる



 「石井 登喜夫」 えめさんは29歳の技術者ということだ。掲示板に投稿されている「鑑賞文」を見ても判るように、とてもよく勉強している人だ。
比較というのは決して「本質の理解」にはならないが、藤丸君の歌と比べて見ると「無垢」ではないことがすぐ読み取れる。しかし、今それを言っても仕方ないことだ。小銭を取り出して、そのつめたい感触に秋が来ると思ったのは、実感を捉えていて佳いところだ。「雨粒」の歌になるとやはり年齢を感じさせる。つまり「様々な音」に「様々なこと」を感じる年頃になっている作者の複雑な心境を思わせる。が、「様々なものを打ちつける」という表現は作者としては苦心したところだろうが、そこを如何にして克服し、具体的な単純化に進んで行くかが課題になるだろう。


 10月中に実作を示して頂いたのは二人だけだから、今、多くは言えない。
投稿者がどんどん増えて、いろいろな作品に接してみたいと望んでいる。