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(2017年12月) < *印 新仮名遣い > |
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小谷 稔(新アララギ選者)
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秀作 |
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○
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中野 美和彦
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朝々を咲きつぎし槿今朝見ぬを告げなむとして母のいまさず
母の骨を拾はむ義妹をその一瞬身を震はせて怒鳴りつけたり |
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評)
五首みなよかったがとくにこの二首目には強い感銘を受けた。骨拾いは身近な遺族が当然すべきことである。にもかかわらず義妹を作者は怒鳴りつける。かくも変わり果てた母、そのの骨を拾う心にはなれないところに実に深い心の傷みがあります。 |
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○
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ハワイアロハ *
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カネオヘの海山くっきり見える日よ高台の墓地に風吹き渡る
妻も子も持たずに甥は旅立ちぬ酒をやめろと言う人もなく |
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評)
この作者も甥御さんの挽歌。五首ともよかったがこの一首目の上句の推敲による飛躍的な進境を作者は肝に銘じてほしい。オートバイや酒に関係した事故死を想像したがともかくドラマティックな死を事柄の紹介を説明せずに抒情を深めているのがよかった。 |
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○
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文 耶 *
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コーラスにひたむきの日々若き娘のソプラノの声まざまざ浮かぶ
三十路子の病に勝てず若さゆえ進むが速し吾より先に |
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評)
これも挽歌。万葉集の古代から歌は愛と死の二つが中心であった。ハワイアロハさんの弟は四十歳代、文耶さんの娘さんは三十歳代、どちらも人生の峠はこれからというのに逆縁は実に痛ましい。ひたむきに励んだソプラノの声を中心にして印象深い。 |
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○
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時雨紫 *
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墨の香に逸る心を抑え書く『高野切』の歌薄き墨にて
硯箱の父の墨柄手に取りて物いとおしむ父に倣いぬ |
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評)
珍しく仮名書道に熱心な作者。『高野切』は平安時代の草仮名の名品で作者は父子二代の書の愛好者である。一首目の上句などこの道に長く精進していることが分る。「墨柄」というのは短くなった墨を挟む道具で墨を最後まで磨ることができる。よいところに着目しています。 |
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○
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くるまえび
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長年のエビ養殖に夢を賭け世界の人にエビを届ける
忘れよう死への苦しみ乗り越えて海老の幻われに集へと |
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評)
くるまえびの養殖を職業にして特色のある作品を残している作者。この作者もその歌によれば癌を患っている。その病をかかえて作者は精魂を傾けた海老の幻に呼びかけている。幻の海老は作者を慰めているようだ。 |
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○
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来 宮 *
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歓声をあげて迷路に走り込む風吹き抜ける穂芒の原
坂道を転がり落ちて足元にまとわる枯葉はやも冬来つ |
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評)
芒原の中の迷路を子どもの頃に還って走り抜ける。こんな芒原も珍しくなったが童心に還る貴重な場所である。二首目、何も名所に行かなくてもこんな平凡な坂道で冬の到来は見つけられるということを教えてくれる。 |
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○
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鈴木 英一 *
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運動会幼なを背負う父親の騎馬戦始まり顔つきけわし
幼稚園の運動会の昼休みどのシートにも三世代の笑顔 |
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評)
幼稚園の運動会風景。幼稚園ゆえに親も当然若い。若い元気なパパが幼子を背負って騎馬戦に闘志を燃やす。しかし父親は馬なのでじれったさが顔に出る。二首目、三世代そろうとは羨ましい。応援のために揃ったまれな一日。 |
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○
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原 英洋
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暁の水平線の彩雲の焼きつく鋼の如き煌めき
霧深き川辺の道を車過ぐ前照灯の暈滲ませて |
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評)
叙景の堪能な作者である。暁の水平線上の彩雲を見詰めて「鋼の如き煌めき」と捉えた。二首目も霧の中を走る車の前照灯の暈を捉えている。どちらも神経を一点に集中した緊張感がある。 |
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○
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夢 子 *
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言ひ募る事も無くなりラニカイの海に向いて静かな二人
それぞれの犬を連れ来てマカプウの海辺を歩く落日の中 |
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評)
中年の愛のドラマの一コマを見ているような感じがある。かつては互いに言い募る険しい場面もあった間柄であったが静かに海に向かい、あるいはめいめいの犬を連れて落日の中を歩く。このドラマはどう展開するのか気になる作品である。 |
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佳作
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○
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美藤 咲恵
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放課後に遊び盛りの子供らが運動場なき塾へと急ぐ
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評)
この作者の「目前の無事を望みて選びしか有事立法に励む為政者を」とともに社会的な問題に関を示して着眼がよく特色があります。 |
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○
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紅 葉
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スリッパで畳の上を歩く父中国行きはあきらめるべき
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評)
父の生活の行動上の一つを具体的にとりあげたのは効果的です。具体的表現が生命です。 |
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○
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かすみ
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帰省して笑む妹を囲むわれら焼き芋を手に話を聞けり
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評)
「焼き芋を手に」という庶民的、家庭的な雰囲気が効果的でほほえましい。 |
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○
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コーラルピンク
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久々に魚売り場をめぐり行く菜食主義者の君出張なれば
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評)
この頃女性の作に「君」という呼び方が見られるが夫というよりも恋人のような若々しさ、甘さが好まれるようだ。新アララギでは「夫」が望ましい。 |
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○
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つはぶき
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ジュエリー展に足を運びし老いの吾をみなごころの未だのこりて
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評)
気持ちの若さを保つにはジュエリー展を見るのも有効でしょう。やはり外に出ることですね。 |
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○
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文 雄
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敬老の日に配られし菓子嬉し食思は甘きにのみ残りゐて
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評)
舌にある味覚の感知も味によって相異があるものなのですね。老いの一つの捉えどころです。もう少し作歌の数を増やしてほしいですね。 |
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● |
寸言 |
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私は休耕田を借りて菜園を六〇坪くらいやっている。その菜園の歌に、
泥の軍手は畑の杭に掛けておき雨に晒せり白くなるまで
この作は歌集『黙坐』に収めている。どういうものかこの変哲もない歌が歌集の読後感で十首前後の歌の中に選ばれることが多い。泥の軍手をわざわざ家に持ち帰って洗濯をするよりも杭に掛けておくと何回かの雨でとてもきれいに白くなる。私の菜園には細い杭が何本も立ててあるがそれには常時、五セットくらいの軍手が干してある。こんな事をしている百姓を見たことがない。考えてみるとこれは雨という自然に任せきっている、そして白く浄化される、ということが魅力の一つになっているのかと思う。
月初めのとりかかりが遅れてご迷惑をおかけしました。
小谷 稔(新アララギ選者)
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