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今月の秀歌と選評



 (2023年4月) < *印 旧仮名遣い

八木 康子(HP運営委員)


 
秀作
 


早雲

子を抱いた母が奏でる駅ピアノ時にさき手音を乱して
マスクせぬ先祖の遺影を見る度にコロナの日々の終息を待つ


評)
1首目の下の句の作者のまなざしがいい。数年前まではまさかこんなキナ臭い世の中になるとは思いもしなかったが、駅ピアノのこの親子の姿こそ、2首目にも通ずる万人の願う平和な世の象徴と思う。
 


はるたか

九十五歳の私を病ませざることを生き甲斐として賄う妻か
「疲れた」と言わんとせしが老いし妻「ああ疲れた」と先に言いたり
諍いし夜を目覚めて静かなる妻の寝息に聞き入っている


評)
淡々と平常心を保ちながら、澄んだ感覚で日常を詠む作者である。2首目など、見逃してしまいそうな些事を捉える感性は得難い。
 


時雨紫

炉の釜に透木すきぎ用いる卯月来ぬ茶室に時の移ろう日暮れ
透木釜に炭の炎は隠れいてそよ風に香る抹茶の緑


評)
透木すきぎは、敷木から転化した言葉らしい。炉に羽釜はがまを掛けるとき、炉の縁に置く拍子木形の木片とのこと。卯月ならではの茶の湯の景色が鮮やかに詠われている。
 


オオムラシゲキ

武蔵野に住み初めし朝声上げき枝々の朝露日に輝きて
武蔵野に妻の描きしパステル画妻も彼の絵もありありとして


評)
まるで昨日今日のことのような鮮やかな詠い方で、サムエルウルマンの詩「青春」が浮かぶ。
 


はな

巻紙の和紙の手触り温かし少し荒れたる母の手に似て
木漏れ陽にすやすや眠る幼子の和毛を撫でて春風の過ぐ


評)
見逃しがちな日常のさりげない心揺らぎを、抑えた手法で詠む作者ならではの2首。
 


吉井 秀雄

萩の花の淡きむらさき棚引きて古刹への道華やぎにけり
雨だれのごとくも打ちぬ吾が胸を萩の花また不動明王


評)
一首目の「棚引きて」は、萩のしなやかな細枝が、幾重にも重なるように花をつけている様子を言い得て、心地よい。2首目、何か内側に秘めたものを持つような詠みぶりで、印象に残る。
 


廣 *

汝が何時か酒が不味いと言ひしとき思はざりにき癌の兆しと
汝はつひに悲しきまでに痩せたれば見せたくなきと吾を遠ざく


評)
壮絶な一連、詠むことがきっと救われる道に通ずると信じて祈っています。
 


ゑま

柔らかき春の陽そそぐ窓ぎわに座りて心の凪ぎゆくを待つ
目が見えず物に当たりつつ歩む猫眠りにつくまで抱きていたり


評)
繊細ゆえにか、心にうつうつとしたものを持つ作者ならではの作。今後も詠むことが平安な日々の訪れにつながると信じて続けてほしい。
 

佳作



はずき

待ちこがれし四年振りのフェステバル開催なりぬホノルル挙げて
各国の異なる文化のハーモニー琴に尺八詩吟もありて


評)
ハワイ在住の作者、現地ならではの様々な催し物を折々に弾むように詠い、楽しませてくれる。最終稿には出なかったが「若人の神輿チームの艶やかさ「花瑠璃會ホノルルカイ」の掛け声高く」も捨てがたい。
 


富士 俊太

一両のディーゼルカーを父と待つ鶴林寺かくりんじ駅に鬼追いのあと
廃線となった今でも赤茶けた車両くるかと待ちいる心


評)
「追憶」と題した一連の内の2首。過去を振り返る年齢になって初めてわかることもあろうし、作品の向こうには思い出のパノラマが広がっているのではないだろうか。
 


鈴木 英一

一面に春耕なりし畑隅に風の吹くまま揺れる菜の花
得意のショットまるで決まらずテニスコートの外に並び見る園児らの前に


評)
作者はきっと生真面目でどんなことにも一生懸命に真正面から向き合う性格なのだろうと思わせる一連。それは作歌の上達にもきっとつながると思っている。
 


原田 好美

早咲きのオカメザクラの花の蕊降りて幼ならけて通りぬ
病院の庭に拾いて見上げたりこの珍しき葉がメタセコイアか


評)
つぶやくような詠みぶりに、繊細な感性が窺える。
 


紅葉

合格の知らせは夕方にはあるか通知音を確かめて待つ
この旅の空にしらせを待つ身には南の島も幻影のごと


評)
補欠合格の知らせを待つひしひしとした思いが伝わる。結果はいかがだっただろうか。
 


夢子

明確なプランも立てず生きてきてああ面白かったと思うこの頃
新アララギに初めて歌を詠みしよりはや十年か卒寿に近づく


評)
もう10年になるのですね。ずっと変わらぬ前向きな姿勢で、軽やかに詠い続けることが「心は老いない」秘訣なのだろう。
 


清水 織恵

還暦の花見姿を撮って欲しと少女のようにポーズ取る母


評)
お母さんと毎年、桜の花見を楽しんでいる作者、今年は還暦を迎えたお母さんとの、親子の立場が入れ替わったような状況をさらりと詠んだ。今日までの半生がほのぼのと気負うことなく表現されている。
 


村上 宗

ずぶ濡れの雨の中を彷徨って何故行くか問う青春の中を


評)
青春真っ只中ならではの迷い・揺らぎ・不安を詠う。多作すること、手当たり次第に気になる人の作品を多読することが、必ずや自身を養い、自作を高めることになると思っている。
 
 
寸言

 今回はこんなに多くの最終稿に出合うことができ、感に堪えない。皆さんの短歌に向ける姿勢から、私たちと同じように、多かれ少なかれ生きがいやハリになっているのかも、と嬉しく思っている。世の中がこれからどんな風になっていくのか、ついていけるのか、世界はきな臭くなっていく一方、日々は滑るように過ぎ去っていく、そして将来への不安、老いへの不安・・・。とは言え、とりあえず、今は目の前のことに集中することで、一日一日を充実させていきたいと思う。
そうする中で、思いもよらない得難い作品が生まれることを信じて。
              八木 康子(HP運営委員)

 
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