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(2023年11月) < *印 旧仮名遣い > |
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八木 康子(HP運営委員)
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秀作 |
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○ |
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時雨紫 |
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九州の湯宿の膳に運ばるる料理と器のあうんの調和
唐津焼の工房に見し手捻りの技に脈々とこもれる力 |
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評) 日常から離れて茶器やその工房を巡る旅行詠。自宅でしっとりと、春夏秋冬の茶道をめぐる感慨を詠む際の作者とは、また一味違う高揚感が新鮮な一連だった。 |
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○ |
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紅葉 |
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にょっきりといつのまにやら現れし亡者しのぶ彼岸となりぬ
年老いた我を鏡に見出して礼服姿をただただ眺む
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評) 一首目。彼岸花を思わせる大胆な詠み出しで、一転、下の句では、仕事に忙殺される中での機微を、独特の切り口で、黄泉に行った身めぐりの人々を思う気持ちが表現されている。後の歌は、一定の年齢を重ねた身なら誰にも思い当たることを、肩ひじ張ることなくそのまま詠んで、身につまされる。
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○ |
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はるたか |
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病院に最高齢者と目されて少し得意となりし哀しさ
大いなる鼾で困りいたる人退院してややさみしくなりぬ
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評)
あっぱれ九十六歳の作者である。高齢になると、短歌に限らず、独りよがりや意味不明・壊れたレコードのようになる例もある中、淡々と平常心であるがままをみつめて歌にできるのは、お人柄だろう。
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○ |
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夢子 |
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これで良し素直に喜ぶ九十の目覚めめでたく朝食うまし
二十歳年下の君も七十歳白髪目立ちて我に追いつく
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評) うらやましいほどに前向きで軽やかな生き方をしている作者である。一首目の「目覚めめでたく」がするりと出てくる発想力、二首目の結句も、地にしっかりと足を付けている自覚・自信が素晴らしい。 |
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○ |
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はな |
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風に乗り苅田匂えば目の前に故郷の秋ふいに浮かび来
子が来るとただそれだけの事なれど温み身に満つ一人の夕べ |
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評) 二首ともに、似た思いを胸に抱いた経験のある人は多いと思う。日常の一人の時間でも、こうしてリズムに乗せて詠えば、ほのぼのとしたものが胸に満ちる。短歌の妙を思う。いつもながら、丁寧に生きている作者が垣間見える。
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佳作
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○ |
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大村 繁樹 * |
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潜血を告げられ訪ひ来ぬ三国山の父のゆかりの万葉歌碑に
内視鏡検査に何の映らむか我が身の内に何の蠢く
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評)
健診からか体調不良か、医師から思いがけない結果を聞かされた不安感が、重低音となって響く。いい結果に向かっていることを祈っています。 |
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○ |
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廣 * |
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陽は低く秋深まれば包丁を研ぎて切りたる大根を干す
鉢植ゑの土打ち返す鍬先に地虫まろべり五つ六つと
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評) 仕事の歌が年々少なくなっていくと言われて久しいが、その理由が高齢化社会と短歌離れだけとは思わないにしても、実直に淡々と季節に応じた仕事をこなして、それを詠う作者のような存在は貴重だと思う。
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○ |
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つくし |
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子供とか夫とかふとほしくなる夕暮れの中バスを降りれば
あたたかき誰かのそばに居りたくて博多なまりの夫を選びぬ
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評) 長い時間経過をたどっての連作の中の二首。振り返ることで今まで気が付かなかったさまざまなことにもしみじみと思いが及んで、心が温かくなることもあると教えられる。
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○ |
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原田 好美 |
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ひっそりと路地の奥処に式部の実朝日を受けて紫さやか 孫娘のヒップホップの披露会車椅子から背伸びして観る |
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評) 手厚い心配りをなさる家族に守られながらでも、車椅子の生活は様々にご苦労があるだろう中、明るく前向きに過ごす様子に、毎月背中を押される思いがする。
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○ |
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鈴木 英一 * |
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一面の白菜畑にモンシロチョウひらりひらりと渡りていきぬ
通りかかりし幼な児たちとフェンス越しにテニス終はりて笑顔交はせり
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評) 二首共に、見逃がしがちな場面をキャッチしたところが面白いと思う。私も、少し離れたところから共に眺めているような温かい気持ちになった。
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○ |
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はずき |
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楽しみな温泉旅行も早々に駅にて顔から転倒するとは
悪運は感染するのか神様よ携帯無くしし妹嘆く
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評) せっかくの姉妹旅行に、次々とアクシデントに見舞われた顛末を、ものともせずに詠む作者の、精神力のたくましさを感じて、パワフルな作者にお目にかかってみたくなった。
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● |
寸言 |
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長引くコロナ下の制約の中、家にこもる日々が当たり前になって、消極的に過ごすことの弊害を感じながらも、みなさんの作品を鑑賞することで、視野を広げさせていただく思いです。評価ですが、年々、秀歌と佳作を配分することが苦しくなっています。ほとんど差はないと思っていただけたら、と思います。
<秋のお彼岸を過ぎればあっという間にお正月>のとおり、流れるように過ぎ去る日々は、年々急流になっていき、世の流れにも、いよいよついていけそうもないですが、足元に気を付けながら、一歩一歩あゆんでいきましょう。
八木 康子(新アララギ編集委員) |
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