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今月の秀歌と選評



 (2024年7月) < *印 旧仮名遣い >

小田 利文(HP運営委員)


 
秀作
 


大村 繁樹 *

いちめんに日の差す海を弟の遺骨撒かむと姪泳ぎゆく
弟とともに貽貝を採りし海に遺骨を撒きて杖に帰り来


評)
海への水葬(海洋散骨)を詠んだ、興味深い連作。一首目、作者の弟の遺骨を、故人と親しかったであろう姪御さんが散骨する様を詠んでいる。特異な光景をうまく捉えて一首とすることができた。二首目。貽貝(いがい)を共に採った弟君との思い出と、現在の作者の様子が良く繋がり、心に届く作品となった。残りの一首もこの二首に劣らず良い作品に仕上がっている。
 


笹もち

ぐんぐんと迷い悩みを切りきざむその相棒を自転車と呼ぶ
コガネムシ一生終えても光っててその足元でおにぎり食べる


評)
若さと勢いが溢れるような作品で、いずれも初稿のままに近い(2は最終稿では 一生終 えて光ってて となっていたが、初稿の方を掲載した)。一首目上句のスピード感ある表 現から、その光景が浮かび上がってくる。二首目は、上句と下句との繋がりに意外性があり、面白く感じた。最終稿にはなかったが「生きるとは簡単なこと自転車に弁当積みて漕ぎ出せばいい」も、作者の活き活きとした様子が表れた作品である。
 


紅 葉

発熱も検査しないで良いらしい5類の意味を罹って解す
固定費を教えてくれというライン夜中に気づけば眠れなくなる


評)
一首目、マスコミでよく耳目に触れた新型コロナの5類感染症への移行を、作者自らが体験し身をもって感じたことを具体的な事柄を入れて詠むことができている。二首目、現代の社会人が直面する事態を詠み、多くの共感を呼び得る作品となった。他の一首も推敲により、この作品だけでわかる一首に仕上がっている。
 


夢 子

七十路を過ぎて習いしコンピューターの親玉がいるテスラの中よ
手を離し漕いだ自転車思い出す自動運転心もとなし


評)
最後となるかもしれないと作者が感じている車選びを題材として、ユニークな連作となった。一首目、自動運転のためのスーパーコンピューターを搭載したテスラ車を作者独自の表現で詠むことができた。二首目、初稿に較べ対象を自分の思い出に引き寄せて詠むことで、共感の得られる一首となった。上句の思い出の描写が生きている。
 


はな

古里の小川の音の優しさよ叔父の納骨恙なく過ぐ
紫陽花の葉陰に蛙鳴く夕べ雨の匂いが鼻を擽る


評)
一首目は初稿のまま。上句のしんみりとした感じが、下句と良く繋がっている。二首目、下句の表現に作者の個性が感じられる。入道雲の歌も印象に残った。
 


つくし

還暦に友と集える写真館赤いドレスをそれぞれ持ちて
人生の三分の二ほどは過ぎゆきぬ会えなくなるまで会いたき友よ


評)
一首目、大切な友と人生の節目に当たる日を
祝う喜びが作品から伝わってくる。二首目は歌のリズムが整ったことで、作者の思いがこもった下句が心に届く作品となった。他の一首も、作者のしみじみとした深い思いが伝わる作品となっている。
 


湯湯婆

復興の神戸に生きたタンタンは逝きて心は故地に帰るや
ガザに向け銃持つ兵士に忍び寄り重なり見えるシャイロックの影


評)
一首目、2000年に中国から貸し出され、復興のシンボルとして親しまれたジャイアントパンダのタンタンが今年の春に死亡した。その背景とタンタンに寄せる作者の思いが良く表れている。二首目、作者のユニークな視点が感じられる、読み応えある一首となっている。
 

佳作



鈴木 英一 *

早朝の我が庭に羽黒蜻蛉きて翅の開閉繰り返しゐる
水閘門を白波立てて流れ行く水に思へり増水時のさまを


評)
一首目、身近な自然を丁寧に観察して詠み、作者の優しい眼差しが感じられる作品に仕上がった。二首目、茨城県五霞町の関宿水閘門を訪ねた折の一首であろう。下句に現代ならではの視点が感じられる。
 


原田 好美

デイケアの園庭に靡く茅のとなりムラサキツユクサ午後には萎むと
ドーンドン富士山麓から聞こえ来る火力演習どうにも慣れぬ


評)
一首目、デイケア施設の小さな自然に目を止め、午後には萎んでしまう花への思いを詠んで心引く作品となっている。二首目、御殿場市の東富士演習場で行われる、陸上自衛隊総合火力演習であろうか。「どうにも慣れぬ」 に作者の率直な思いが込められている。
 


時雨紫

雛三羽こぞりて開く嘴に親鳥忙しく餌運びいる
立ち止まり夫と眺める燕の巣電車一本見送りて暫し


評)
旅先の駅のホームでの思いがけない出会いに対する作者の喜びが表れた連作。最終稿の三首ともに、言葉の選び方や一首の流れが良く、作品の鑑賞をスムーズなものとしている。
 


はずき

二十八の国皆参加のフェスティバルハワイの次回は半世紀後なり
全身に施すタトゥーに息を呑む初めて知りしトンガの文化


評)
四年に一度開催されるFest PACも、ハワイでの次回開催は半世紀後とのこと。今回の参加に対する作者の強い思いが率直に表現されている。二首目は今回の連作の中でも、フェスティバルの様子が最も良く伝わってくる作品であり、初稿から推敲を重ねて読み応えある一首に仕上がった。
 
 
寸言

  今回も皆さんの作品と向き合う中で、多くの新たなことを学ばせていただくことができた。猛暑日が続きグテーレス国連事務総長の、 地球が「沸騰する時代が到来した」との言葉も、決して大げさな表現でないことを実感する日々である。5類に移行したとはいえ、感染力の非常に高いコロナの変異株KP3の流行も、高齢者や体力のない人にとっては油断できない。皆さんのご健康を心よりお祈りするとともに、それぞれの作者の個性が感じられる作品に出会えることを楽しみに待ちたい。
           小田 利文(新アララギ会員)
 
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