作品投稿


今月の秀歌と選評



 (2024年6月) < *印 旧仮名遣い >

大窪 和子(新アララギ編集委員)


 
秀作
 


はな

向かい風に立ち漕ぎして行く男子生徒白きワイシャツ夏陽を弾く
果てしなき麦の畑の真ん中を一両電車音立てて行く


評)
中学生だろうか、風に向かって立ち漕ぎをする力強い動きが鮮明に描かれている。下の句の表現も爽やかで結句の「夏陽を弾く」が素晴らしい。2首目は広々した畑中を一両の電車が走る光景、さびしさではなく、印象的な美しさが感じられる。
 


笹もち

脇役に落ち着いているわたくしにドラマティックな失恋生まれる
人の幸に拍手する役やめたのち愛した日々に後悔はない


評)
不思議心理詠である。この恋愛はお互いの気持にずれがあったのだろうか。ある日突然、相手は新しい恋人のもとに走ってしまった。作者にとってみればドラマのような展開なのだろう。しかし「後悔はない」という、深淵な心を持った作者である。
 


大村 繁樹

癌化せし腸のポリープを子に従ひ切除し杖に海を見に来ぬ
子の思ひに目を背けこし我なりき「手術受けて」の願ひ拒めず


評)

二人に一人が癌を病むという現代、手術をするかしないかも大きな選択肢の一つだ。これまではあまり子供の思いに忖度しないで来た作者が、心をこめた子の願いに応えた。癌を患ったことで深まった親子の絆が伝わる二首。前の歌の結句が爽やかだ。

 


時雨紫

自転車に孫と乗りゆく飛鳥路に里の景より自販機探す
娘らのアプリに任す旅先に英訳和訳タクシーも呼ぶ


評)
暑い盛り飲み物が最優先。飛鳥路といえども熱中症になっては大変だ。ましてやお孫さんが一緒とあらば。ケイタイのアプリを使って旅の全てを熟す娘さん。現代の機器はお手のものだ。目を白黒させる母親の作者。三代それぞれの楽しい歌である。
 


紅葉

連休の終りし電車は遅れがちみんなゆっくり始めたいらし
都度都度に気づきしことを歌にして記録にすれば忘れてもよし


評)
連休明けは電車のダイヤものんびりしているのか、それを咎めるのではなく共感している作者。面白い。短歌を詠むということは人生を記録すること。今更でない気もするが、大げさでなくさらりと詠んでいるところに特徴があり、作者らしい。
 


原田 好美

孫娘運動会の晴れ姿リレーを走るソーラン踊る
みどりご抱き乳を飲ませる娘の笑顔に現れ出でぬ母の幸せ


評)
活発なお孫さんなのだろう。運動会は活躍の場である。「晴れ姿」が効いている。生まれたばかりの赤ちゃんに乳を含ませるおかあさん、その姿は誰がみてもこころ暖まるものだ。下の句からはお祖母さんとなった作者の歓びも伝わってくる。
 

佳作



夢子

福耳はほぼ出来上がり年経れば笑い皺ともマッチしている
悲しみは笑顔で表す癖がつき極楽トンボと呼ばれて暮らす


評)
思わず笑いを誘うユーモラスな二首だが、その裏側には秘められた哀しみがが感じられ、味わいのある作品に仕上がっている。作者の人柄が表れているのだろう。
 


鈴木 英一

二十年経て訪ねし母校の校舎一新行き交ふ学生皆スマートに
出生率団塊世代の三分の一異常な数字に危機感ありや


評)
一首目の結句、最後に作者の思い付きで大変よくなった。学校も時代を反映していることが分かる。出生率の低下を口にする人は多いが解決の方法はあるのだろうか。個人の問題か政治の問題か、感心を持って行きたいものだ。
 


つくし

父の椅子母の椅子が食卓にありし灯のまま彳んでいる
会いたいと思ひし日には父母の椅子に座りて話しかけているわれ


評)
亡くなった両親の椅子がそのまま食卓に残っている。どこの家庭にもありそうな光景で共感される。父母を慕う気持は万人に共通するものだ。
 


はずき

突然に先輩の死を耳にして信じきれずに家族に問いぬ
家族みなハワイに移住し二十年多趣味で多くの活躍されき


評)
作者の優しい気持ちは解るが、二十年も音信の無かった先輩? 少し関係が淡すぎる。作者とどんなつながりがあったのか、もう少し具体的な内容が描かれるといいと思う。
 
 
寸言

 短歌人口の高齢化が進んでいるようである。いきおい、短歌同人誌の存続が難しという噂が聞かれるようになった。我々「新アララギ」もそうした波に無縁ではないが、人生百年といわれるこの時代、まだまだ前向きに進んでゆく所存である。
 高齢者の歌、若者の歌が共にあってこそ、時代を映す短歌世界を生み出すことが出来るのだ。縁あってこのホームページに参加されている皆さん、手を取り合って頑張って行きましょう。
           大窪 和子(新アララギ編集委員)
 
バックナンバー