(1) 高曇り・高曇る
二つ以上の単語が結びついて出来る言葉を複合語と言うが、その名詞とそれに対応する動詞との関係はなかなか微妙である。たとえば、「高曇り」とは言うけれど、「高曇る」と動詞にするのと熟さない用語になる。
「出合ひ」という複合名詞がある。これは「出合ふ」と動詞にも使う。(用例は旧仮名使用)
「居眠り」と「居眠る」、「呼びかけ」と「呼びかく」、「行き帰り」と「行き帰る」などと例をひけばきりもない。しかし、すべてこういう工合ではない。
「出稼ぎ」は「出稼ぐ」と動詞に使えるものであろうか。「出稼いで」などと俗には使うかもしれないが、歌には使うべきではないだろう。「里帰り」は「里帰る」とは言うまい。同様に「取引き」が「取引く」、「見劣り」が「見劣る」、「花曇り」が「花曇る」、「行きずり」が「行きずる」とはなるまい。「片恋ひ」が「片恋ひし人」などとなるのは滑稽である。「片恋ひしつつ」は万葉にもあるが。
ある人の歌「手造りて友の持ち来し彼岸団子よ」の「手造りて」も「手造り」という名詞から、「手造る」という動詞を類推して勝手にやったものであろう。
以上の例は皆、私が歌の中で実際に目に触れたものである。ではどういう場合はよくて、どういう場合がよくないか、それはただ慣用語として耳に慣れているかいないかの差にすぎないとも言えそうだ。 |