短歌雑記帳

「歌言葉雑記」抄

行きつ遊ぶ
 
 戦前の中学生の時、国語の教科書に上田秋成の「雨月物語」のなかの「夢応の鯉魚」が載っていた。中学生向きの怪奇で愉快な物語であるが、その文中に「若しやと居めぐりて守りつも三日を経にけるに」とか「身を跳(をど)らして深きに飛び入りつもをちこちに泳ぎめぐるに」とかいう表現があって「守りつも」「飛び入りつも」という言い方に疑問を感じた。語法上は、ここは当然「守りつつも」「飛び入りつつも」としなければならないところである。その頃作歌を始めていて、「つつ」という継続反復を表わす助詞を、「つ」ですませるのはいけないと何かで読んで知っていたのである。「雨月物語」には、あちこちにこの「・・・つも」が出ている。上田秋成のような人がどうしてこんな誤りをおかすのか不思議に思ったのであった。

 しかし今思うと、これは秋成だけではない。蕪村などもやっているのだ。例の新体詩のような「北寿老仙をいたむ」の一節に、

  君をおもふて岡のべに行きつ遊ぶ
  をかのべ何ぞかくかなしき

という詩句があるが、「行きつ遊ぶ」がそれである。「行きつつ遊ぶ」と言うべきところだ。また「新花つみ」のなかに「ひしと負ひつも、からうじて白石の駅まで出でたり」「布施とらせつひと夜念仏して」などとも見える。すると江戸時代の文人の作品には、まだまだ捜せば用例は見つかるだろう。勿論、秋成も蕪村も、いつでも「つつ」を「つ」としているのではない。秋成は、「雨月物語」のなかで「・・・つつも」と言うべきところのみ、「つも」とやっているようだ。

  今更に取り返しなどつかないと思ひつも笑顔に君をもてなす

 これは最近見た歌稿中の某氏作。「思ひつも」が秋成式だ。
 さて岡麓の門人に杉田嘉次という人がいた。もう故人であるが、この人の戦前の歌集「遠望集」には、

  中元に金を持ち呉れしわが兄は蚊に螫されしを云ひつ帰りぬ
  松かげの百穂先生の御墓にも雪つみたらむと思ひつすぎき
  栗のいが柿の実青し汗たりつ強き日ざしをかげに避くれば

のような歌があり、「云ひつ帰りぬ」「思ひつすぎき」などと平気でやっているので、いっぱしの歌よみが何だろうと思い、岡先生もこういうところを見のがしているのかしらと、不審に感じたのを今も忘れない。この「つ」の用法は、今でもあちこちのカルチャーセンターの作者の作品などに見かける。江戸時代からの誤用が今でも脈を引いているとも言えよう。

  はるかなる高麗(こま)国ゆ来つ武蔵野の山かたつきて住みし人等よ
  夏山のたむけ越え来つ白雲のおりゐる中にねむりたりけり
 土屋文明歌集「往還集」及び「山谷集」の一首。どちらも第二句の「来つ」は、そこで停止せずに下へ続く呼吸のようにも見えるがやはりそうではあるまい。「つつ」でなく「つ」なのだから。
                             (昭和62・2)

          筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者


寸言


掲示板投稿作選歌後記

 先日、久しぶりにチューリヒの街をあるきながら、ボン在住の日々の感覚が蘇った。ドイツ語に囲まれたせいであったろう。ベルヒテスガーデンは小さな美しい国境の町、当時ここに一ヶ月ほども滞在し、近くのケーニッヒ湖に遊んだことも思いだされた。
 『遠遊』『遍歴』は茂吉のドイツ留学中の、旅日記のような歌集で、あまり評価されていないが、こうして改めて目にすると、小さな生きものへ寄せる眼差しや、ホルンの谺を聞いている姿勢に、茂吉独特の人間性が充分感じられる。
 作者の体臭の滲むような旅の歌を作ってみたいものである。



                      倉林美千子(新アララギ選者)


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