苦しむ
私の勝手な興味によって今月は「苦しむ」について書きたい。言うまでもなくクルシムという動詞は、形容詞クルシから出た言葉だ。万葉集の総索引によって「苦し」の用いざまを見ると、「わが背子に恋ふれば苦し」「すべもなく苦しき旅も」「苦しくも降り来る雨か」「ただひとり子にあるが苦しさ」「夢の逢ひは苦しかりけり」等さまざまに用いられて、数えると56例ほどある。万葉人の愛用した情意を表わす形容詞の一つである。ところが、「苦し」は、こんなに沢山あるのに「苦しむ」あるいは「苦しぶ」という動詞の形のものは一つもない。(当時動詞の用法もあったことは、例は略するが、記紀の文章の訓読によってもまず確実である。)「草枕旅を苦しみ恋ひをれば」「珠にぞあが貫く待たば苦しみ」のような場合の「苦しみ」は「苦しいので」と解すべきで、動詞的に「苦しんで」と解すべきでないことは(それは紙一重の差ではあっても)、「野をなつかしみ」の場合と同様である。
「苦しむ」が見当らないのは、古今集以下も同じで、古今集とほぼ同じ頃に成った新撰字鏡という辞書には採録されているのに、古今集以下八代集等には見えない。形容詞の「苦し」は受動的でおとなしいが、動詞の「苦しむ」は、あらわな心の動きとして敬遠され、歌言葉とはなりにくかったものか。勅撰集の動詞のまま出て来るのは、はるか後の玉葉集のなかにある伏見院の
いたづらにやすき我身ぞはづかしき苦しむ民のこころおもへば
の一首のみである。ほかに「苦しみ」という名詞が、玉葉集とそれより後の新拾遺集に一例ずつあるのみ。勿論、一方の「苦し」は、国歌大観には数えるのもいやになるくらい沢山並んでいる。
勅撰集では敬遠されても、新編国歌大観によって調べると、この「苦しむ」「苦しみ」は、平安末期の歌人以下に使われ始める。それは一般に文章用語として多く使用されるようになったことが反映しているであろう。源俊頼の散木奇歌集にも幾つか見えるが、西行の山家集及び聞書集より一首ずつ引く。
心をばみる人ごとにくるしめて何かは月のとりどころなる
なべてなきくろきほむらのくるしみはよるのおもひのむくいなるべし
前のは「苦しめて」と他動詞に用いた。後の地獄絵を見ての歌は、なかなかすごい内容を含んでいる。なお六家集の一つ、慈円の拾玉集には、次の如きすこぶる近代的な調べの歌もある。
きみも仏われも仏になるならばくるしむ人はみなのがれなむ
なお「悲しむ」について記したいが、もう余裕がない。これは万葉集では使われたが、勅撰集には忌避された動詞である。
(昭和63・2)
筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者
|