短歌雑記帳

「歌言葉雑記」抄

なつかしむ

 この「雑記」の「さびしむ」のところで、「寂し」という形容詞「寂しむ」という動詞は、その発生が近代であることを記した。「恋(こほ)しむ」「清(すが)しむ」も、「こほし」「すがし」を動詞化したもので近代になってからの歌言葉である。「恋しむ」については、以前書いたことがある。「清しむ」は、今は茂吉の「当薬を杉の木したにもとめたる今日のゆとりを清しむわれは」(霜)の一首を引いておこう。以下は「なつかしむ」につき一言する。

 子規の「俳人蕪村」に、蕪村の「をさな子の寺なつかしむ銀杏かな」という句を引いて、次のように論じている。

  「なつかしむ」といふ動詞を用ゐたる例ありや否や知らず。或は思ふ。「なつかし」といふ形容詞を転じて蕪村の創造したる動詞にはあらざるか。果して然りとすれば蕪村は傍若無人の振舞を為したる者と謂べし。然れども百年後の今日に至り此の語を襲用するもの続々として出でんか、蕪村の造語は終に字彙中の一隅を占むるの時あらんも測り難し。英雄の事業時に斯の如き者あり。

 名文なるかな。明治とともにこういう文体は消えてしまった。

 さてこの「なつかしむ」という動詞は、ナツク→ナツカシ→ナツカシムという形で、動詞が形容詞を経てまた動詞になる一例である。今はどの辞書にも「なつかしむ」は、出ているだろう。でも蕪村の造語などとは書いてない(はずだ)。広辞苑第三版には「なつかしむ心を知らば行く先を向ひの神のいかが見るらん」という「中務内侍日記」(鎌倉時代)の一首を引いているが、第二版までは万葉集の「春の野に菫つみにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける」の赤人の歌を「なつかしむ」の例として出していた。これは、この辞書の時にやらかす大ポカの一つであった。(「安けし」の例に万葉の歌を引いたのと同様のケースである。)「野をなつかしみ」ならば、子規も知っていたのだ。「なつかしみ」を動詞とは考えなかったから、右のような文章を書いたのである。今手もとにある新明解古語辞典(三省堂、昭48)を見ると、万葉の「岩が根のこごしき山に入り初めて山なつかしみ出でがてぬかも」(1332)を「なつかしむ」の例と引いているのは前の広辞苑と同罪である。「なつかしみ」は、「なつかし」に接尾語の「み」がついて「なつかしいので」という原因、理由を表わすと見るのが穏当である。たとえ動詞的用法と見ても、当時「なつかしむ」という動詞があり、その連用形などと見るべきでないことは、前回に扱った「寂しむ」と同様である。万葉歌人は「野をなつかしみ」「山なつかしみ」と言っても「野をなつかしむ」「山なつかしむ」とは、言わなかったはずである。この「なつかしむ」は、蕪村よりも前に、鎌倉時代に使われていた。今はもう普通の言葉である。

                       (昭和63・1)

          筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者


寸言


「先人の歌」でとりあげた吉田正俊は平成五年九十一歳で逝去したアララギの代表的歌人。この作品は昭和アララギの新風として注目された歌集「天沼」の昭和八年の作、わずか三十一歳の若さである。感覚の清新と言葉の柔軟は類ないものがあった。
新アララギでは、平成十七年一月号から吉田正俊の短歌合評がはじまる。

                    新アララギ選者 小谷 稔


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