短歌雑記帳

「歌言葉雑記」抄

 「夕の国など」(二)

 二七一頁は、「夕(ゆふ)の国」「夕(ゆふ)のかげ」「一日の夕(ゆふ)」というような土屋文明作品の用語例を紹介して「夕」はそれだけで終りにするつもりだったが、もう少し書き加えたいこともあるので、今月も続けることとする。

  閉帳の錦たれたり春の夕(ゆふ)
  春の夕(ゆふ)たえなむとする香をつぐ

 新潮日本古典集成の「与謝蕪村集」(清水孝之校注)のなかの「蕪村句集」より引く。ほかのルビは消して「春の夕(ゆふ)」だけは本のままとする。ところが、岩波文庫の「蕪村俳句集」(尾形仂校注)では、ここを「春の夕(くれ)」としている。これは先般アララギの「蕪村俳句合評」で「春の夕たえなむとする」の句を取り上げた時に気づいた。蕪村の原文には、「春の夕」とあるだけで読みは示していない。しかし「閉帳の錦たれたり」の下五は、蕪村はほかのところでは、「春のくれ」と書いている由である。この句「蕪村句集講義」で子規は「『はるのくれ』と読ましたかも知れぬ」と言っている。だが、「蕪村句集」のこの句の前は「にほひある衣(きぬ)も畳まず春の暮」「誰(たが)ためのひくき枕ぞはるのくれ」であり、秋の部を見ると「秋の暮」「秋のくれ」のみで、「夕」の表記はない。蕪村は、「夕」はやはり「ゆふ」と特別によませるつもりではなかったか。

 このほど、茂吉の「赤光」初版の、「陸岡山中」のなかに、

  山ふかき落葉のなかに夕(ゆふ)のみづ天より降りてひかり居りけり

とあるのに気づいた。これは改選のほうでは「山ふかき落葉のなかに光り居る寂しきみづをわれは見にけり」と訂正された。なお「茂吉索引」によって調べると「霜」のなかに、

  たまはりし食物(をしもの)をおしいただきぬ朝のかれひにゆふの餉(かれひ)に

の例もある。こうなるとほかの歌人にも多少の用例は見つかるかも知れない。

 土屋文明が使った「夕」の例は、前回に三例示したが、まだあるので、次に紹介する。

  音たえて松の幹赤き夕(ゆふ)の時忘れたる所に帰るごとしも
  夕の風野分の如し紅のはちすの花の閉ぢあへなくに
  西の国のいくらか遅き夕の時うつろふ雲の色にいこはむ
  夕の時ひもじと嘆くにもあらずゑんじゆの若葉の傘のしたにて

 歌集はそれぞれ「少安集」「山の間の霧」「青南集」「続青南集」に出ているものである。原文にはどれもルビはないが、一首目の「夕(ゆふ)の時」は、文庫本のままに記した。この文明の用例は、まだあるだろうと思う。どうも私どもには「夕の時」は、なじめない。と言うのは、それだけ強引に言葉を駆使しようとする意欲に欠けているからだとも言えそうだ。そして前月に出した「かげ立ちて海にかたむく夕(ゆふ)の国」の「夕の国」などという思い切った言葉の運用など、到底思いもつかないのである。
                      (平成3・9、3・10)


         筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者


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