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「夕の国」など
白埴(しらはに)の瓶(かめ)こそよけれ霧ながら朝 はつめたき水くみにけり
長塚節の「鍼の如く」の第一首である。この歌の「朝はつめたき」の「朝」を「夕」に取り換えて「夕は冷たき・・・・・」と言えるかというと、そうは行くまい。もし言うならば「夕べはつめたき」としなければなるまい。「夕」そのものは「朝」とは使われ方が少し違う。たとえば「朝朝」とは言っても「夕々」とは重ねない。「朝な朝な」に対して「夕な夕な」の言い方はない。
(「夕べ」は、「夕方(ゆうへ)」の意だと言う。これは「夕べ夕べわが立ち待つに」(万葉二九二九)のように重ねることも可能である。)
万葉集を見ると、「朝」も「夕」も、単独の名詞として使われることは極めて少ない。殆どは朝霧、夕雲式の複合名詞か、「朝されば」「夕ゐる雲」というように動詞と密着しているのだ。ところが万葉以後「朝」は次第に名詞として独立していくのに「夕」の方はそうは行かなかったと言えるようである。
ただ万葉集の家持の長歌(四○九四)に次の例がある。
剣太刀腰に取りはき、朝守り夕の守りに。・・・・
「夕の守に」は、原文「由布能麻毛利爾」であるから、「夕(ゆふ)の」と訓むに違いない。ここは単独の名詞として用いられている珍しい例である。小学館の日本国語大辞典に出雲風土記の「朝の御食(みけ)、夕(ゆふ)の御食」という語を紹介している。それから「雁啼いてのの字画けり夕の秋」という江戸時代の俳諧の例も出ている。
さて、以下は土屋文明作品である。
かげ立ちて海にかたむく夕(ゆふ)の国青き嵐となりにけるかも
「少安集」の「大津宮阯」の一首。「夕の国」とは、極めて特殊な表現である。「夕べの国」とすると、その特殊ないが崩れてしまうかも知れない。
夕のかげ早く及べる谷の田よいなごも乏し青きにすがりて
「山下水」の「川戸雑詠一」にある。初句はルビはないが「ユフのかげ」と読ませるのだろう。「山下水」にはユフべの場合は殆ど「夕べ」と書くが、一箇所だけ「夕(ゆふべ)」がある(一三九頁)。なお「川戸雑詠九」の「けふの月少しかたよりて岩に入るいまだ夕の色残る時」は、ユフべと読まないと音が整わない。しかし右の「夕のかげ」は、「ユフのかげ」であろう。
温かにかぜおさまりし一日の夕(ユフの煙立つ見れば炎のうつる
この歌は夕にルビがある。「夕の煙」という題のなかの一首でその題も「ユフの煙」と読ませるのであろう。
土屋文明という歌人は、語感に独特なところがあった。「夕(ゆふ)」を単独の名詞に用いたのはその一例である。それは古代の少い用例に注意して、用いるようになったのではあるまいか。
筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者
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