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遠かり ----- カリ活用につき
この六月に出たばかりの岩田晋次著『短歌文法65講』(京都カルチャー出版)という書物を手にして、さっそく一文を草することにする。著者は、国語教育にたずさわった人であり、また「日本語に厳格なハハキギ短歌会所属の歌人として、四十年の作歌経験を持つ人」と説明されている。 一覧したところ細かい心の行き届いた初学者向けの親切な好著である。ただ「正しい言葉づかい」を念とするあまりに規範的な文法にこだわりすぎるという問題点も多少あるかと思う。今その一つを取り上げてみたい。
それは形容詞のカリ活用と呼ばれる語についてである。「遠し」という形容詞の連用形「遠く」に動詞の「あり」をつけて「遠くあり」それが約まって「遠かり」という形になる。この活用は「から・かり・かり・かる・かれ・かれ」となるはずであるが、終止形「かり」と已然形「かれ」は、「実際にはほとんどの文語文にその用例を見出せないから」と、活用表の上でも空欄にされている。「遠くあれば」を約めて「遠かれば」という已然形は、たしかに用例がないだろう。「遠ければ」という普通の形容詞を使用すればすむからである。「遠かり」という終止形も、何となく落ちつかない感じがするのは、古典に用例をみつけにくいからだと言えなくもない。
冬野吹く風をはげしみ戸をとぢて夕灯をともす妻遠く在り
島木赤彦『馬鈴薯の花』
「遠かり」という形が定着しているならば「妻は遠かり」とすることもできたはずだ。文法書を見ると、古文で例外的にカリ活用の終止形が通用するのは「多かり」という形のみである。「これにつけても憎みたまふ人々多かり。」(源氏物語・桐壺)などと。しかしこの「多かり」も、和歌の世界では使われぬ言葉であり、江戸時代までで私が見つけた例は、橘曙覧の頼山陽を詠んだ「外史朝廷(そとつふびとみかど)おもひにますらをを励ませたりし功績おほかり」という一首だけである。
だが、実は明治以後の短歌には、このカリ活用終止形の使用はもはやさほど珍しいものではない。まず啄木の『一握の砂』の例を挙げよう。三行の書き方を崩して記す。
一隊の兵を見送りてかなしかり何ぞ彼等のうれひ無げなる
かなしみといはばいふべき物の味我の嘗めしはあまりに早かり
解剖(ふわけ)せし蚯蚓(みみず)のいのちもかなしかりかの校庭の木柵の下
かにかくに渋谷村は恋しかりおもひでの山おもいひでの川
意地悪の大工の子などもかなしかり戦(いくさ)に出でしが生きてかへらず
わが思ふことおほかたは正しかりふるさとのたより着ける朝は
小奴(こやつこ)といひし女のやはらかき耳朶(みみたぼ)などもわすれがたかり
右の第三句または結句はカリ活用の終止形である。なお思いつくままに他の歌人の例も挙げてみる。
わが見つる大和はつひに寂しかり青香具山の春の緑も
尾上柴舟『日記の端より』
みてあれば赤く濁れる太陽は血を噴(ふ)くごとし空は暗かり
前田夕暮『生くる日に』
あたたかき身のうつり香を悪みつつ秋の青草噛めば苦かり
若山牧水『死か芸術か』
黄の蝶の林に住むは幽けかり落葉松(らくえふしょう)も芽吹きそめにし
北原白秋『海阪』
「寂しかり」とか「暗かり」という言い方の尻が座らない感じは、「ずあり」が「ざり」となる場合とも似ている。しかし使用されて行くうちに次第に違和感も感じなくなるのである。次に茂吉の用例を少し挙げよう。
寝て思へば夢の如かり山焼けて南の空はほの赤かりし 『赤光』
雨空に煙上(のぼ)りて久しかりこれやこの日の午後近みかも
初版『赤光』
ひさびさにちまたを行けば塵風(ちりかぜ)の立ちのぼるさへいたいたしかり
『あらたま』
長崎に来りて既にまる三年(みとせ)友のいくたり忘れがたかり
『つゆじも』
つきつめておもへば歌は寂しかり鴨山にふるつゆじものごと
『つきかげ』
まだあるが以上にとどめる。要するに明治以後の歌人にはこんなに使用例があるのにカリ活用の終止形を空欄にしてみとめないというのはあまりに不自然である。
考えてみると、江戸時代の曙覧の「多かり」の例は先に示したが、蕪村の「夕顔や黄に咲きたるもあるべかり」なども「べくあり」が「べかり」となったので一種のカリ活用であり、明治の使用の先駆けともなっているのだ。
現代にも用例はそれほど多くなくても、まま見つかる。前登志夫氏の『鳥獣蟲魚』の一首のみを引く。
祭太鼓しきりに打ちてさびしかり南半球に人飢うるとぞ
筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者
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