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会へざるを-----可能動詞につき
「短歌新聞」七月号の片山貞美氏の「疑問を呈する」という作品時評を読む。現代の歌人でこの片山氏ほど言葉の使い方や語法に厳格な人はあまりいないだろうと思う。「ふさふさと葉のうちなびく楓樹にていくつの股の見えずなりたり」(森岡貞香)につき、なぜ「いくつかの」とせずに「か」を省いたか、「股の」とあれば「なりたる」とあるはずなのをなぜ「なりたり」としたのか、などと言う指摘にそれが言えるだろう。しかしそれはそれとして、次の一点のみ今は取り上げたい。
内村鑑三いまだクラークに会えざるをたのしむごとく幾日か居る 田井 安曇
この一首につき「『会えざる』は口語と文語とでできているから無理な語法だ。近ごろは『書けず』『読めず』などよく目につくが許容されるのか、疑問。」と批評された点である。口語で「会う」という動詞に対して、会うことができるという意味の「会える」という動詞を可能動詞と言う。「書ける」「読める」も、可能動詞である。この動詞については、私もすでに『歌言葉雑記』のなかで触れているが、口語として室町時代に発生し、江戸時代にはもう一般的に使用されていたらしい。川柳の「嚊(かか)が口延びあがらねば吸へぬなり」一茶の「雪ちるやおどけも言へぬ信濃空」などの例を私は紹介しておいた。江戸の擬古文や和歌では殆ど使用されなかったのではないかと書いたが、実は橘曙覧には「たのしみは紙をひろげてとる筆の思ひのほかに能くかけし時」の「かけし時」のような使用例があるのであった。「吸へぬ」「言へぬ」の如く下に打消を伴うのが普通で、曙覧の「能くかけし時」などは異例でもあろう。
とにかく口語として発生した言い方であるから、「かけし時」とか「会えざるを」とか言うと、口語と文語のないまぜとなり、片山氏のような人には「無理な語法」と目に映るのも、もっともなのである。
だが、文語を本体とする短歌の表現に、口語乃至は口語風の言い方がどんどん侵入して来るのは、止むを得ない。近代短歌の例として、茂吉の「言へなくなりて」赤彦の「笑へざりけり」文明の「進めざりし」の詞句の例を私の本では示しておいたが、ほかの例をもう少し挙げてみよう。
赤らくの色の潤ひ言に言へず絵にもうつせぬもひにしありけり 『左千夫歌集』
降りやまぬ雪に稼げず村びとのたれかの家は飯(いひ)に飢(う)ゑなむか 中村憲吉『軽雷集』
次のは茂吉の戦後の作例である。
ああかなしくも精神病者の夢われにすがりて離しきれざる 『白き山』
編隊の戦闘機いなづまの如く行く今は武器とし思へざれども 『つきかげ』
土屋文明にも次の例がある。
近づけぬ近づき難きありかたも或る日思へばしをしをとして 『青南集』
これは「追悼斎藤茂吉」の一首。この「近づけぬ」という口語的な言い方には違和感も感じないではない。「少し読める様になつたかと思ふ此の日頃頭は早く耄碌し始む」は、口語そのままを出したのである。
以上の私の引用は片寄っているが、近代現代歌人の使用例は、捜せばたやすく見つかるのではあるまいか。結論的に言えば、短歌に可能動詞を使うことは、もう勢いとして避けることはできない。今さら咎め立てするにも及ばないと考えるのである。「歌壇」八月号のなかから今、捜してみると、(三枝氏の歌は書評から)
前世紀の処女を描くセロフの絵いまに会へざるものの眩しき 篠 弘
歳時記の知らざる空の高さまで帰れぬ樹々のひとつかわれは 三枝昂之
などが見つかった。手もとのNHK学園の作品集「彩歌」を開くと「人の喘ぎにわれは眠れず」「時の流れになじめぬものか」「変りし姓についになじめず」「「米のとれぬを繰り返し嘆く」「不安つのりて眠りにつけず」などと、もう枚挙にいとまがない。こういう言語現象として認めざるを得ない。
ついでながら蛇足を書けば、「勝ちたりといふ放送に興奮し眠られざりし吾にあらずきや」(茂吉『白き山』)の「眠られざりし」は、意味としては「眠れざりし」と同じことになるが、「眠ら」に「れ」という可能を表わす助動詞(未然形)がついたのである。もともと「眠られず」というような言い方が崩れて「眠れず」となり、口語の「眠れない」「眠れる」という形になって可能動詞が成立したものでもあろうか。
幕末の大隈言道の歌に「中絶えてえも渡られぬ川橋を行かるるまでは行く童かな」というのがある。「渡られぬ」「行かるる」は、可能の助動詞を使っている。こういう言い方をもっと簡略化した形が、口語の「渡れる」「行ける」という式の可能動詞になったものかと考えるのである。
筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者
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