短歌雑記帳

「歌言葉考言学」抄

 仮名遣の弁

  斎藤茂吉が、今井邦子を泣かせたという話がある。昭和初期のことであろう。

 ある時、邦子が茂吉に私をアララギの選者にさせてほしいと頼んだ由である。茂吉曰く「あなたが選者になるのもいいけれど、それにしては仮名遣がきちんと書けますか」と。勿論、歴史的仮名遣、旧仮名(という名称は戦後のものだが)が正確に書けるかという反問なのである。赤彦没後には、邦子は茂吉に月々の歌稿を見せていたから、茂吉は証拠を握っていたのであろう。選者ともなれば、会員の歌稿の仮名遣を訂正する能力も要求される。これは、巧妙な撃退法であった。それで、邦子は涙を流したのだと言う。(そんなにヒドイ誤を常に犯していたとも思われないが)結城哀草果なども選者になる前後には、師匠の茂吉から細かく仮名遣の注意を受けていた。

 昔の安居会を引きついで、アララギが毎年の夏にやる歌会に土屋文明が出席したのは、昭和六十三年八月が最後であったが、この時文明は「仮名遣を軽蔑するような歌を私は相手にしない。仮名遣をやかましく言うアララギは糞くらえと言う人はどこへでも行けばいい。アララギに来なくてもいいワ」と強い語気で言われた。今でも、あるいは今だからこそ仮名遣は、以前にも増して千々に乱れる。糞くらえと思うならまだしも、戦前の旧仮名の世界に育った作者が、全くちゃらんぽらんで、注意されてもされても馬耳東風なのである。

  いつしかも雉は来啼かず積み上げて新旧かな使ひごちゃごちゃの原稿の前
                    楠瀬兵五郎

 作者は「高知アララギ」という地方誌の発行者。「新旧かな使ひごちゃごちゃ」は一人の作者の歌稿のなかでの不統一の乱雑さを嘆いていることは言うまでもない。これは特に旧仮名を立て前とする結社誌にとっては共通の問題点であるに違いない。

 「未来」では、巻頭の近藤芳美氏は新仮名、その次の岡井隆氏は旧仮名と、最近では出詠者の自由意志で仮名遣を決めている。こういう結社誌はほかにも目につくが、校正者の使う神経は大変なものであろう。

 アララギは、植物名の片仮名書きを除いては、旧仮名をかたくなに守っている。それはいいとしても、新米の選者が会員の歌稿の正確な仮名遣を、時に誤ってなおすことも無きにしもあらずだ。それからこの五月号などには、作者が「栄へし日」と書き、選者も校正者もそれをパスさせて、そのままみごとに印刷されてしまった例もあった。勿論「栄えし日」とすべきところで、茂吉・文明両先生が見たら、大いに慨嘆されるであろう。こういう例も、まだまだ見つかる。

 さて仮名遣は、新旧どちらにも困る部分があるが、旧仮名で具合が悪いのは、ほんの一部分とは言え、その仮名に異説がある点である。次のは、アララギ八月号に載る一首。

  真珠筏に乗り移らむとしてたじろぎ居るわれに手を貸す幼馴染みは
                    坂 志津

 この歌に出て来るタジログという動詞は、タジログ、タヂログどちらが正しいのかときかれると、大方はたじろぐであろう。これは昔から問題にされた仮名遣で江戸時代中期の契沖の著した「和字正濫鈔」には「たしろく仮名もいまた考かへねと、みしろくといふ」とある。ミジログという語もあるから、タジログとしておくというのである。タジログ、ミジログ、マジログのジログという共通部分は、動くことを意味するようなのでタジログでいいとも言えそうだ。広辞苑の初版はタジログであった。ところが第二版以後は、タヂログに変った。最近の古語辞典類もみなタヂログ、タヂタヂである。ヂとジとを区別していた時代の文献の調査によってタヂログのほうが正しいということになったらしい。「太陽のひかり散りたりわが命たじろがめやも野中に立ちて」という茂吉の『あらたま』の歌も、今では「たぢろがめやも」と書くほうがいいことになる。ただこのように古人の発音のわずかに残存する証拠によって仮名遣が左右され移って行くのは、いかにも頼りないという感じがする。「机(つくえ)」については広辞苑では第二版までは「ツクヱ」は疑問だとしたが、第三版以後は旧仮名もツクエとしてしまった。平安初期にツクエの例があるというのだ。

 しゃがんで体を丸くする「蹲(うずくま)る」は古くはウズクマル、のちにウヅクマル、に変わったというが、その時期が中世といったり、室町時代と言ったり辞書によってまちまちだ。中田祝夫監修の古語大辞典(小学館)にはウズクマルが正しいとあるが、築島裕『歴史的仮名遣い』(中公新書)ではウズクマル、ウヅクマルどちらも正しいとしていた。新仮名表記を取る人から見れば、全く愚かな議論であろう。しかしそういう現象だけで、歴史的仮名遣の全体を律してはいけないことは、勿論である。



         筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者


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