短歌雑記帳

「歌言葉考言学」抄


 仮名違いを見つける

 「塔」は、平成五年七月号から旧仮名表記も認めることになった。創刊以来三十九年の間、新仮名表記のみを採用して来た由であるが、最近になって旧仮名でもいいということになったのである。(何年か前に「関西アララギ」が一斉に新仮名表記の採用に踏み切ったのと好対照である。)しかし九月号では新仮名、旧仮名の別をはっきりせよ、旧仮名発表者は面倒がらずに辞書を引いてもっと勉強せよと「校正子」からの要望が出た。これはいずこも同じだ。以下あら捜しのようになって気が引けるが、私が見つけた旧仮名の誤の具体的な例を少し書き並べてみたい。

入口の車椅子借り江戸屋敷めぐりおへ車椅子かへしてまかる
白鷺の城の翼につつまるる林泉(しま)冷えとほりひと日おはらむとす

 頴田島一二郎氏が「短歌」(平成5・1)に発表した「九十三歳」の中の作。逝去される前のものなのにけちをつけるようで悪いが、「めぐりおへ」「おはらむとす」と混乱した仮名になっている。勿論「めぐりをへ」「をはらむとす」と記すべきだ。ほかにも「おもひ耐うべし」「休めなずみをり」の混合仮名遣いがある。「耐ふ」「なづみ」が正しい。誤植とは考えられない。誤記に違いなかろう。

ゆくゆくはマッチ箱くらいの大きさの犬だって人は造るであらう
快晴の空なれど色黒づめりここ上越の雪山の上

 以上二首は、奥村晃作氏の近刊の歌集『蟻ん子とガリバー』のなかより。「マッチ箱くらい」の「くらい」は、旧仮名は「くらゐ」である。「駄犬とて一芸くらいはこなすもの」という歌も「くらい」になっている。「黒づめり」は、「黒ずめり」正しい。次も同じ歌集の作。

浅草の駒形どぜうの鍋囲み昼ながら飲む花見を前に

 もう一首「駒形のどぜう食うべて酒飲んでいざ行かん隅田河畔の花に」という催馬楽調のもあり、どちらも面白い。この「どぜう」は今は「どぢやう」と書くが、駒形の店も「どぜう」と看板が出ているはずで、これは江戸時代通行の仮名遣であり、それをそのまま使ったとみればよく、咎め立てするには及ばない。

同じ洞を重ね合はせし蜂の巣のごときすまゐか天より見れば

 これは「歌壇」(平成5・12)の稲葉京子氏の「歴史の本を」のなかの一首。「すまゐ」は、「住居」という語から来る錯覚である。この歌の前に「このマンションにあまたの人がすまひしと歴史の本を読む声聞こゆ」があり「住まふ」という動詞」を」使用している。その名詞化であるから「すまひ」とすべきところ。なお「昨日行き今日は行かざる残り野のゑのころ金に照りゐる刻か」の「ゑのころ」は、犬の子の意であるから「えのころ」でいいと思ふのに「ゑのころ」とする辞書が多いようだ。(ネコジャラシをさす。)

 「歌壇」(平成5・11)の水沢遥子氏の「ウーズ河」の一首「剥落の箇処にあまたの季すぎてしづけきさまに残る築地(つひぢ)は」の「築地」のルビが気になった。「築地」の「き」が音便で「い」となるのだから「築地(ついぢ)」記すべきところである。(これは「啄む」が「つきはむ」から「ついばむ」となるのと同じ。水鳥の「かいつぶり」も「掻きつぶり」が「かい」となるので「かひつぶり」ではない。)

 「未来」のいつの号であったか今出て来ないが、岡井隆氏の作中に「翁(をきな)」という表記があった。「をきな」は「おきな」とするほうがいい。「おきな」は、老女の「おみな」「おうな」とも対応する。大人の「おとな」とも関わる語であるから、とにかく「おきな」である。男(をとこ)の「を」に引かれて「翁(をきな)」と書きたくなるのであろうけれど。

 なおついでに「翁」の漢字音に言及する。細かい理由は省くとして、多くの辞書は(広辞苑第四版なども)「翁」をヲウとするが、新明解国語辞典(三省堂)や新潮現代国語辞典はオウである。屋上などの「屋」は、普通の辞書はヲクなのに、新潮現代国語辞典のみは、オクを採用する。こういう問題は、まだまだある。第一、漢字の字音など一応定められているものでも、完全に覚えられる人は、一万人に一人もいないだろう。丸谷才一氏のように、原則として字音はみな新仮名式にしてしまう(和語は歴史的仮名遣、旧仮名を主張しても)のも、さっぱりしていい。漢字音を除けば、日本語の仮名遣は、合理的な部分も多く、そんな魔法みたいなものではない。

 それにしても新仮名採用者は、以上のことはみなバカバカしい、オロカナ議論とするだろう。

 しかし今になって旧仮名を認める結社も出てくるのは何故か。ああ二十一世紀の短歌の仮名遣は、どうなるのだろうか。(短歌がいつまで存在するかは、別として)



         筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者



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