「日にきらふ」
日にきらふわが眼下(まなした)のみづうみに波だちてくる水脈(みを)も見るべし 『連山』
日のきらふ青山のうへにわが立ちて山といふものに直(ただ)ちに交(ま)じらふ 『暁紅』
城山に高くのぼりて日にきらふ古(ふる)ぐに伊予はわれのまにまに 『寒雲』
斎藤茂吉の歌集より「日にきらふ」という詩句を持つ三首を並べてみた。この「日にきらふ」は、どういう意味であろうか。「きらふ」と言えば、私どもはすぐ万葉集巻二の、
秋の田の穂のへに霧(き)らふ朝靄いづべの方に我が恋やまむ
という一首を思い浮かべる。「霧(き)らふ」は「霧(き)る」という動詞に継続の意の「ふ」が加わった言葉で「霧や靄がかかっている」ということだ。「霧らふ朝靄」とは重複表現だがそんなことは古代人は意に介さなかった。
さて、茂吉の「日にきらふ」は「日に霧らふ」の意であろうか。どうもそうではなく「日を受けて輝いている」というような意味合いではないか。なお「きらふ」の用例を探すと、次のように見つかる。
中空の塔にのぼればドウナウは白くきらひて西よりながる 『遍歴』
きらひたる空につづける西南に国ひくくなりて二たびの湖(うみ) 同
春草(はるくさ)の秀(ひ)いづる岡にわれ立ちて児島(こじま)の海はきらひけるかも 『石泉』
ひむがしの海かぎり見ゆ松島の海路(うなぢ)をこえてきらへるも見ゆ 同
春の日はきらひわたりてみよしのの吉野の山はふかぶかと見ゆ 『暁紅』
きらひたる五重の塔の碧き屋根一密米(ミリメートル)ほどにもあるか 『のぼり路』
これらは、「霧(き)らひ」の意味のようでもあるが、よくよく味わえばやはり「光り輝く」のほうの意味合いではあるまいか。今、上の第一首の内容に応ずる部分を茂吉の随筆「ドナウ源流行」によって当ってみると「天が美しく晴れて、其塔の頂上は風がなかなか強かった。・・・・・そこをドナウはゆるくうねり、銀いろに光って流れてゐる。」とあり、この文章と短歌とは制作時のずれがあるにしても「銀いろに光って」が「白くきらひて」に相当するとみていいようである。
ここで、土屋文明に登場してもらわなければならない。文明作品に次の用例がある。
飛ぶ鳥は雁の如しと思ほゆれ朝日きらひて黒々と飛ぶ 『山谷集』
傾く日にきらふは釧路の国の山か夕ぐれてなほ到りつかざらむ 同
朝かげは麓の方にきらひつつ雪ほのぼのと谷になだれぬ 同
朝の雨きらひて降ればゆづり葉の紅もはるかなる思して見つ 『少安集』
夕きらふ天の香久山まことにあればわかき生(いのち)を吾はみちびく 同
朝きらふ島の宿りをいで立ちて栗ひとつ拾ふ道芝のなか 『山の間の霧』
上の第一首の「朝日きらひて」は「朝日に輝いて」の意であろう。二首目の「傾く日にきらふは」も「輝く」の意ではあるまいか。あとは「霧らふ」の意とも、あるいは双方の混合形のような感じ方とも取れないことはない。文明作には「幼き日天(あめ)に霧らへる雪と見し清水の嶺呂(ねろ)を今日ぞ越えける」(『往還集』)「春の日の霧らひつつ西に渡る時けぶるが如し多麻の横山」(『山の間の霧』)「日に霧らふすすきうつくしき峠なりきはじめての修学旅行小学四年」(『青南集』)などがあるのを見れば「きらふ」の仮名書きも実は「霧らふ」のつもりの場合が多いかも知れない。これは生前に質問しておくべきであった。
辞書には勿論「きらふ」に「輝く」の意を持つものは採録していない。しかしキラメク・キララカ・キラキラシがあってみれば、錯覚にせよ、その縁のキラフという動詞が生まれるのも不自然ではないという気もする。
とにかく「きらふ」に新しい意味を持たせのは、茂吉、文明あたりが始めではあるまいか。そして茂吉には大正時代の作品とするものがあってもそれは恐らく後年の制作で昭和五年の文明の「朝日きらひて黒々と飛ぶ」あたりが先鞭をつけたのではないかとひそかに想像もするが、これはもっと慎重に考えるべきであろう。
大上海がきらふ青葉のさきに見え甲板の暑き光に佇てり
『渡辺直己歌集』の一首。この「きらふ」は文明の新用法から来ているのであろう。
盛り上がる青葉の茂り日にきらひただ楽し暫くのあひだといへど
吉田正俊『霜ふる土』の一首。この「日にきらふ」も「日に霧らひ」の意味ではあるまい。文明の周辺の作者には、まだまだこの新しい「きらふ」を使用したと思われる作品が見られるが、以上にとどめておく。(「および、おゆび、をよび、をゆび」の付記参照)
筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者
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