目をあきて
目をあけてしぬのめごろと思ほえばのびのびと足をのばすなりけり
茂吉の『赤光』の「口ぶえ」の一首。初句の「目をあけて」は、何でもない普通の言い方であるが、今この句に注意するわけは、のちには茂吉は、もっぱら次の如き言葉使いをするようになったからだ。以下四首は『あらたま』より。
潮の上に怺(こら)へかねたる河豚の子は眼をあきて命をはれり
ほがらほがらとひかりあかるき朝の小床に眼をあきて居りにけり
うつしみは誰も来ずけり頭より光かむりて眼あき居り
をさなごの咳(しはぶき)のおとを気にしつつ夜の小床に目をあきてをり
つまり、「目をあけて」ではなく「眼をあきて」「目をあきて」という表現を好むようになったのである。大体この歌人は、目をあけたりつぶったりする歌が多く、時には表現が、動物のその動作にも及ぶのが、この歌人らしいところだ。「目をあけて」のアケは、他動詞下二段の連用形で普通の用法であるが、「目をあきて」のアキは、四段活用と見るべく、その連用形となる。その後の例も、もう少し挙げてみよう。
くらやみに向かひてわれは目をあきぬ限(かぎり)もあらぬものの寂けさ 『つゆじも』
目をあきてわがかたはらに臥したまふ窿応(りゅうおう)和尚のにほひかなしも 『ともしび』
ふけわたる夜といへども目をあきて痩せ居る君し我は会ひたし 同
ぬばたまのよるのほどろに目をあきてあひたのしまむ嬬(つま)はあらずも 『白桃』
この部屋のすすびかりする天井をしばしば見たり眼をあき居りて 『霜』
春の夜の午前三時に眼をあきてわれの体の和むことあり 『寒雲』
これでおおかた「目をあきて」の用例を並べてしまった。茂吉は、生涯にわたって「目をあきて」という言い方を愛したと言っていいだろう。(ついでに言う。右の『ともしび』の「目をあきてわがかたはらに臥したまふ」は、作者茂吉自身が目をあけているのだと『斉藤茂吉短歌合評』で落合京太郎・土屋文明等が言っているが、それはへんではないか。ここは和尚が目をあけたまま横になっているの意であろう。なおこの『合評』は「目をあきて」の語法については何も触れていない。)
さて私が「目をあきて」に拘るのは、アキテという他動詞の四段活用が、そもそも存在するのだろうかと疑うからである。目がアクと言えば自動詞でこれは四段、目ヲアケルの意の目ヲアクは他動詞の下二段(だから、目ヲアケテとなる。)であり、この他動詞を四段にして目ヲアキテと活用させるのは、どうも無理な用法ではないかと考える。断定的に言えないが、古典にはこういう用例は見えないのではないか。勿論自動詞、他動詞が時に交錯する例もないことはない。「命を終ふ」と言わないで「命を終る」などと言うのは、その一例である。もっともこれは近代短歌に見えるので、古典にはあるまい。
茂吉以前に「目をあきて」式の言い方をした歌人がいるかどうかは分からない。子規や左千夫・赤彦などはやっていないようだ。なぜ「目をあけて」よりも「目をあきて」というほうを好んだか。それは恐らく「目をあきて」が、古風にひびくからであろう。近代歌人は「触れて」と言わずに「触りて」と言い「垂れて」とせずに「垂りて」とする。「揺れて」でなく「揺りて」と言う。これらは普段使う下二段を避けて古代語の四段活用をあえて用いたのだ。古代語志向である。それと同類の心理が働いて「目をあきて」という形を作ったのではないか。(「あきて」は、目以外には使用していないのではないかと思う。)
北原白秋の『牡丹の木』の次の一首、
眼はあきて汝等(わいら)観る無し真日照るを夜とかも騒ぐ汝等(わいら)眼は無し
これは、目ハアイテイテという自動詞なのか、アケテという他動詞なのか分からない。
目をあきて秋づきにける夕かげは夢のつづきの如くさみしき 吉田正俊『天沼』
茂吉の影響を受けた歌人には、当然この言葉が使われる。今は一例を挙げるにとどめよう。
付言。最初に引いた茂吉の「目をあけてしぬのめごろと思ほえば」の「思ほえば」は、語法上誤りであることをこの「考言学」の以前の文章でもほかのところでも私は指摘した。しかし、相変らず用いられている。最近気づいた作品二首を引く。
玉の緒の絶たれしいのち思ほえば狂おしきわが遂ぐるは何ぞ 武川忠一「短歌」7年8月
おもほえば彼岸のごとき昭和なり草木は銀の戦車をおほふ 坂井修一「歌壇」7年9月
無理が通ると道理は引っ込む。これは止むを得ない特例としてもう認めるほかないであろうか。
筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者
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