「命をはりし後世(のちのよ)」
先月は、過去を回想する助動詞「き」の連体形「し」の問題を扱って「いづくより来たりしものぞ」の万葉歌などを取り上げたのであるが、もう少し書き足したいことがある。大体この「し」は、万葉の時代からへんなところがあり、必ずしも純粋の過去や回想のみではなかった。今また思いつく一例を挙げると、
わが里に大雪降れり大原の古(ふ)りにし里に古らまくは後(のち) (一〇三 天武天皇)
古りにし嫗(おうな)にしてやかくばかり恋に沈まむ手童(たわらは)のごと (一二九 石川郎女)
などの「古りにし」は「古ぼけた」「老いぼれた」という意味であるが、これは過去や回想ではない。理屈を言えば「にし」と過去形を使う必要もないところではあるまいか。万葉には「香具山の古りにし里」とか「うづら鳴く古りにし里」とか、「古りにし」は慣用的な表現になっているのではあるが。
ここで、茂吉作品のなかでかねがねへんな「し」だと思っているものを記してみたい。
たまきはる命をはりし後世(のちのよ)に砂(すな)に生(うま)れて我は居るべし 『ともしび』
彼(か)の岸に到(いた)りしのちはまどかにて男女(をとこをみな)のけじめも無けむ 『暁紅』
今生きているのに「命をはりし」とか「到りし」とか言うのは「後世」「彼の岸」を基準にして言うには違いないが、それにしてもいささかへんではあるまいか。(上の第一首は、芥川龍之介もほめた忘れ難い歌ではあるが。)これはやはり単純に、タ=シの公式を当てはめたための作歌であろう。しかし「たまきはる命をはらむ後世に」とか「彼の岸に到らむのちは」とか言えば表現としては合理的になろうが、声調上の難点が生ずるのは勿論である。
日頃多くの歌稿に接すると、このへんな「し」の用法に時々ぶつかる。「嫁ぐ日の近づきし子は」などという言い方も、その一例だ。「長かりし命の果にありがたうの言葉残して吾は逝きたし」という歌の「長かりし命の果に」は、どうだろうか。これは茂吉の「命をはりし後世に」と似るが、さほどへんな「し」の用法でもないと言えそうだ。
百姓の多くは酒をやめしといふもつと困らば何をやめるならむ 啄木 『悲しき玩具』
ついでにこの「やめし」という言い方に触れておく。これはタ=シの公式で「やめた」を「やめし」と文語風にしたにすぎない。「やめしといふ」の「と」は、引用の格助詞などと言われ、本来は動詞や助動詞の終止形を受けるのが原則である。今、適切な例も浮かばないが、たとえば万葉集巻十三の「うらぶれて妻は会ひきと人ぞ告げつる」(三三〇三)の「会ひきと」というのがそれだ。しかし啄木の歌は「やめきといふ」では固くなりすぎ調子を破る。連体形の「やめしといふ」のほうがふさわしい。明治の「文法上許容に関する事項」にも「と」が連体形を受けることを認めている。以下五首は、茂吉作品。
罪を持つ人もひそみて居りしとふうつしみのことはなべてかなしき 『石泉』
石巻より海をとほらず運河にて米運びしと聞けばかなしも 同
あさ明けてしづかなる海の渚ゆき今ごろ友は覚めしとおもふ 『白桃』
わが部屋を片付くるひまも無かりしとわが独りごとおのれ聞きつつ 『寒雲』
とめどなくこころ狂ひて悲しむをいだきて寝しとわれに聞かしむ 同
それぞれ連体形の「し」を使っている。終止形の「き」を使った歌としては、
呼蘭(こらん)より綏化(すゐくわ)の線にたたかひ続けてはやふた月は経きといふかも 『石泉』
などの例もあるが、数は少ない。
ついでに文明の両方の例を挙げよう。
吾が父の老眼鏡をかけたるは今の吾より若かりしと思ふ 『山谷集』
伊良湖の島の荒磯に採みしとふまつ菜を見ればいまだみづみづし 同
吾が知れる人も毎日の警備にていたくやつれて居りきと伝ふ 同
夏わらびほそきをたびぬ信濃の山に六月の雨少かりきと 同
「・・しと」「・・きと」の使い分けは、声調上の配慮とも見えるが、あるいは無造作にその都度の気分に従っているかも知れない。現代の作者の作例は省くが「・・きと」よりは「・・しと」のほうが、断然多い。これはタ=シの関係が身についているからだ。それに「き」の音は、固くきついが「し」はそれより柔かい。そして口語に近い語感である。それでおのずから好まれることにもなるのだろう。
筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者
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