短歌雑記帳

「歌言葉考言学」抄


 うつそみ、うつせみ、うつしみ

うつそみの悲しむごとし月あかき山の上にしてひびかふ鳥よ
うつせみの我より先きに身まかりてはや十年(とをとせ)になりにけるかも
うつしみの吾(わ)がなかにあるくるしみは白ひげとなりてあらはるるなり

 上の三首は、茂吉の第六歌集『ともしび』に出て来る作品で、初句を「うつそみの」「うつせみの」「うつしみの」とそれぞれ使い分けているが、この使い分けにはさしたる理由もなく、ただ作歌する際の気分に従っただけと思われる。茂吉全集第四巻の索引によって数えると、初句に「うつそみ」を使った歌は18、「うつせみ」は84、「うつしみ」は47となる。それぞれの使用は交錯するが、「うつそみ」と「うつしみ」は昭和初期までに多く、そのあとは「うつせみ」の使用が支配的になる。

いつしかも日がしづみゆきうつせみのわれもおのづからきはまるらしも

は、『つきかげ』の最晩年の作。とにかく茂吉は終生この類の言葉を愛用した。ついでに言えば、土屋文明は、「うつそみの此の世に次のありもせば夢の中にて声になりきや」(『青南後集』)の一例だけで、あとはどうも使った形跡がない。これは極端に対照的である。茂吉の使用過多は、その強烈な生命意識に基づくことは言うまでもない。

 ところで万葉集の二首を引く。

うつそみの人なる吾や明日よりは二上山をいろせと吾が見む   大来皇女(一六五)
うつせみの命を惜しみ浪に濡れ伊良湖の島の玉藻刈り食む   麻続王(二四)

 万葉集総索引によって調べると、「うつそみ」の用例6、「うつせみ」39で、万葉でも「うつせみ」が断然多い。茂吉はおのずとその影響を受けたとも考えられよう。「うつしみ」なる語は、万葉やそれ以下の古典には現われない。岩波古語辞典には、

うつそみ《ウツシ(現)オミ(臣)の約。ウツセミの古形》(1)この世の人。(2)この世。

という説明のあとに「現身」と解する説は誤だとして、ウツソミのミと、身のミとは上代特殊仮名遣が異なると指摘する。要するにウツシオミがつづまってウツソミ、ウツセミとなったと説くのだ。(ウツシオミは、古事記の雄略天皇の所に出て来るが、今は触れぬことにしてもオミは人の意というのは釈然としないものがある。)そして「うつしみ」という言葉は、岩波古語辞典では「うつせみ」の語源の誤解にもとづいて江戸時代の国学者が作り出したとして、真淵の「冠辞考」の「現し身は顕(うつ)しき身てふ意にて正しきを、うつそみ・うつせみなどいふは音の転(うつ)ろひし物也」というその誤解のさまを引用する。丸山林平著上代語辞典も、その真淵の考え方と同じであるが、今ではそれはやはり否定されるべき解釈であろう。なるほど「うつしみ」は、勅撰集をはじめとして古典には出てこない。ただ良寛の歌集を見ると、

うつせみの人の憂ひを聞けば憂しわれもさながら岩木ならねば
現(うつ)しみのうつつ心のやまぬかな生まれぬさきに渡(わた)しにし身を

などとあり、「うつしみ」もすでに使っているのが注意される。

 近代現代の歌人の使用も三語が入り乱れている。そして左千夫の次のような使い方も出てきた。

下界(うつそみ)の人にわれあれば天の原常世の国の花の名は知らず

 「下界(うつそみ)とは、いささか恣意的である。

うつし身はこころもゆらに沖わたる春日(はるひ)の旅もえにしとおもふ
うつせみの昨日はすぎて今日ありと吉田の山のによりてなげかん

 上田三四二歌集『遊行』より。この歌人は「うつしみ」の用例のほうが多い。現代歌人には「うつそみ」「うつせみ」は古めかしくひびくので「うつしみ」のほうが多く使われるのではないか。塚本邦夫氏の『献身』には、

二十世紀越えむとしつつたゆたへる春夜わが幻のうつせみ

の「うつせみ」もあるが、

客死てふことば恋しき晩秋のうつしみはげによそのまれびと
赤貧の日々を閲(けみ)してうつしみはかろがろとヴァン・ロゼの宿酔(ふつかゑひ)

の如く「うつしみ」のほうが目につく。

 ついでに一首。

うつし世のかなしき汝に死にゆかれ生きの命も今は力なし         『赤光』

 この「うつし世」も「うつしみ」と同様、古典には見当たらぬ言葉で、近代歌人が使い始めたらしい。当然あっていいと思われる言葉が、古典に出てこない例も案外あるのだ。

         筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者



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