「春を迎へり」そのほか
或る結社の代表が序文を書いている某氏の歌集を、友人に注意されて目を通した。そしてこれはヒドイと思った。助動詞「り」の使用法がまるでなっていない。その部分だけを切り取って書くと
春を迎へり 盃を重ねり
野辺に流れり 山を浄めり
汗にまみれり 笑みて応(いら)へり
青葉枝垂れり
こういう具合だ。言うまでもなく完了の助動詞「り」は、その上の動詞を選り好みする。サ変動詞「す」について「せり」となるほかは、原則として四段活用の已然形に接続する。(奈良時代は、命令形に接続したと言うが、それは今は考える必要はない。)上の例は四段活用でなく、みな下二段活用に接続させている。「春を迎へり」「盃を重ねり」などとやって何の違和感も感じないのであろうか。もっとも上のうちの「枝垂れり」は、シダレリと読んでも、エダタレリと読んでも、古い活用の四段に接続させたと考えることも可能ではあるが、作者にそういう意図があるとは、他の用例からも考えられない。
なお細かくは書かないが、「仕へり」「与へり」「晴れり」というような違反の用例が、中世以後の文献にあるとは言ってもそれらは例外的で、しかもみな散文の用例であるから、「春を迎へり」式の言い方を容認する理由にはならない。しかしこの「迎へり」式表現が、現代の一般の作者にはかなり多い。それは文語に対する語感がにぶって文語の表現力が弱くなっている一例にもなろう。
投稿歌のなかで「有(あ)れり」というのを一、二度見たことがあるが、勿論ラ変動詞「あり」に「り」はつかない。「居れり」やナ変の「死ぬ」を「死ねり」と言うのも、違反であるが、今の世の中では、そんなこと言っても始まらない。文語と口語の境界があやしくなり、口語表現が次第に勢力を増しつつある現今はもう「り」についてのお説教などちゃんちゃらおかしいということにもなるか。
「り」と同類の「ぬ」や「たり」は、動詞の選り好みはしないから、「迎へり」で具合わるければ「迎へぬ」「迎へたり」とすれば語法に適うが、語感や声調の関係で機械的に変えるわけにも行かない場合もあろう。それに「り」と「ぬ」では、どちらも完了の助動詞だと言っても微妙に違う場合もある。「り」は、動詞「有り」から発生したというだけに完了だけでなく存続、進行の意味合いも含む。例えば「汽笛ひびきぬ」は、「いま汽笛がひびいた」という完了であるが、「汽笛ひびけり」は汽笛が現にひびいている」と継続の意味合いも持つようにもなる。だから語感のほかに意味上からもたやすく交換はできない場合もあるはずだ。しかしそんな区別も、もう消滅するだろう。
なおこの「り」の用法についてであるが、例えば「歌壇」七月号の島田修二氏の「うたかた」のなかの、
風説に巨大空母のひそかなる最期を聞けり十九年冬
島田修二
という一首では、過去を回想しているのに「聞きき」などと言わず「聞けり」としている。ついでに言えば、
おほよそは民も戎衣をまとひつつ滅びにむかふすがしさにゐき
アメリカにやぶれて軍を解かれたる生徒つたなく帰りきたりぬ
の如く「ゐき」「きたりぬ」とあって助動詞の「り」「ぬ」と「き」とが一線に並んでどれも過去を表しているのである。日本語の時制というのは、もともと曖昧なものであろうが、とにかくこれらの助動詞の使用法は、文法の教科書道理ではない。これは近代から現代の歌人に一般的に見られる現象であるから、私は別に非難するわけではないのだ。しかし「り」と「き」に同じ意味を持たせていいのかという疑問は、いつも抱いている。
以下雑件二つ。先年、四国の或る高校でそこの校歌を聴いたが、その詩句に「雄々しくつよく美わしきわが学園に幸あれや」とあるのでびっくりした。作詞者は石森延男。「幸あれや」は「幸あれよ」とは違って「幸があろうか、ない」という反語になってしまうのではないか。万葉の「いにしへの人に我あれやさざなみの古き都を見れば悲しき」も「昔の人なのか自分は、そうではないのに・・・」という意味合いになる。「幸あれや」が反語とも知らず校歌を歌う生徒が気の毒である。
「文藝春秋」本年六月号に緊急鼎談として「虚に吠え実を生ぜしむを懼(おそ)る」と題するものが掲載されている。あえて文語の題名にしたのはいいけれども、それならば「実を生ぜしむるを懼る」としてほしかった。そうでなければ文語として完全ではない。社内にそれを言う人はなかったのか。
筆者:宮地伸一 新アララギ編集委員、選者
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