宮地伸一の「アララギ作品評」
○桜葉の黄色くなりて散りしかば五月(いつつき)は過ぐ二人亡きかも 瀧波善雄
上の句はあたり前の写生で、もう古くさいと思う。それを受けて「五月は過ぐ」というのも、いささかつき過ぎていて具合が悪い。あっさりとしていやみはないが結局浅い感傷に終っている。つまりこの歌のような、すでに固定化された型を生かすには、上にもっと常凡でない表現が要求されるべきであろう。
○過ぎ行きて遂にひとりの悲しみは暗き舗道にぬれつつ立てり 國谷純一郎
「過ぎ行きて遂にひとりの悲しみ」という表現の暗示する内容は、この一首だけでは具体的にどういうことか分からぬが、この作者の七月号其の二の相聞的な作品と併せて考えたい気がする。最初、私はこの歌の甘さと一種の小説的雰囲気に心を牽かれたが、子細に味わえば真実の感動よりも表現が上まわりして、結局は流行歌的情緒を出ないのではないかと思う。
昭和二十四年一月号
(漢字は新字体に、仮名は新仮名遣いに書き換えました。)
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