戸隠の山をどよもす笑ひごゑ酔ひさめし吾が赤裸(あかはだか)なる
中島 栄一
神々の集ひに肥桶(こえたご)をぶちまけしやうなものだとひとり思ひつ
二首連作としてのおもしろさは無類というべきか。少し注釈を加えるならば、話は八月七日、戸隠山安居会の終った朝の小事件で、作者は前夜の痛飲が祟ったというわけ。「山をどよもす笑ひごゑ」といい「肥桶をぶちまけし」といい自ら何か古事記の世界に通う雰囲気を現出している。場所も神の鎮まります戸隠霊山ときている。この作には自虐的な笑いがあるように見えて、その実、安居会へやって来た「神々の集い」を冷笑しているよう所もあるのではないか。「ひとり思ひつ」などといっても、表現が心にそっぽを向いているので、反省的な色合などなさそうである。
中島氏の作品は九月号の「出世主義にわれはあらねどお人好しのあんたより少し複雑な」の一連、十一月号の「振り分けの荷物を肩に入り来るおつさんあり椎屋宗一郎」なども放胆なふてぶてしい読みぶりで、独特なものだ。少しも「神々」の座に収まって澄ましているような所がない。そこに私は心惹かれている。
病み惚けてゆくらむ老の勢(きほ)ひづく庭のカンナのもゆる紅(くれなゐ)
田中 周三
白萩の咲き散るもろき白妙に過ぎ来し六十五年を思ふ
菅沼 知至
「亀の甲より年の功」という事もあるが、これらの歌はさすがに句法が順直である種の円熟味が加わり、艶もあり品位もあって、平弱に流れずにいい所に至っている。老人の作なりとて豈軽蔑すべけんや。
老いし肩震はせ講義にゆく父を見つつ寂しも思想距ることも
太宰 るい
さげすみても怒りても断てぬつながりに夜半近き卓をはさむ「父と子」
岡井 隆
どちらも「父と子」の対立が作品の契機になっている。対立しながらも父と子の関係を無視し得ない血縁の感情が前者は微妙に、後者はややあらわに出ている。出来は前の方がいい。但し「寂しも」の「も」は不要だろう。「さげすみても」の方は前提が説明的要素に過ぎて歌を弱めている。
昭和31年2月号
(漢字は新字体に、仮名は新仮名遣いに書き換えました。)
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