有刺鉄線に遮ぎらるる荒れし地を見て帰るべき所に吾は帰る
小宮 欽治
どこへも寄道をせずに、我が家へ帰るというわけか。あるいはこれは寂しいあきらめに似た声かもしれない。とにかく「帰るべき所に吾は帰る」という、ぶっきら棒のいい方はおもしろい。破調の句法もよくきいている。
公孫樹越えてさす月光(かげ)にてらさるる額ひかる妻吾が手離さず
宮澤 繁好
恋人又は奥さんの美しさを讃えるような歌は、甘くなるせいか毎月ほとんど見当たらない。今月もわずかにこれが渇を癒やす(?)といえる程度であった。これも正面から女体の美しさを取り上げて歌ったのではない。「額ひかる」に引っかかるが、作者はそこまでいいたかったのだろう。
注射うちし腕に熱もつ夕べにて惰性のごとく君恋ふるかも
玉井 壽榮子
上下句の付合わせが常識的だが、「惰性のごとく」は割にきいている。相聞歌を引こうと思ったら目ぼしいのがあまりなかった。この月ばかりでなく、いつも少ないようだ。そうしてあるのはおおむね「忍恋」であり、「悲恋」の類である。情熱的な恋愛などやるものは歌など作らないのか。それともアララギなんぞに入って来ないのか。
すでに遺品となりにし君の作業帽卓に置かれしままに幾日かあり
上岡 正志
人ひとり死にたる事も工程の一つの如く処理されて行く
青木 邦彦
工場における事故死を扱った作二つ。前のは説明に流れて叙述の要素が強いが、一つの感動を伝えている。後のも説明的だが、「工程の一つの如く処理されて行く」はうまい。そこに軽い批判も潜ませながら、又それを止むなしとする一種の寂しい気持ちが出ている。
昭和三十一年二月号
(漢字は新字体に、仮名は新仮名遣いに書き換えました。)
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