短歌雑記帳

宮地伸一の「アララギ作品評」


岡部光恵の歌(つづき)

松の芽の朝うるほへるくれなゐは古への聖のうれひを伝ふ(七月号)

 この作者には意欲的な力強い作というものは乏しいように思う。その中ではこのような直截な力の籠った、やや強引とも言える表現の歌もある。

袈裟の埃清めはらひて釘にかく暑きひと日を寄付集め来て(八月号)

 これは僧侶としての類型歌に堕しているであろう。「清めはらひて」などは言いすぎであろうと思う。

浜の松に僧衣ぬぎかけて安らへば海に映えたるくれなゐ長し(二月号)

 「僧衣」という語を第三者が使うならともかく、作者のような人が自ら使うのはどうであろう。(「仏像」という語も然り。)しかしそういう事よりも作者自身がいつも僧侶として己れを律しているような所が目立つのが気になる。この場合何も「僧衣」とことわる必要もないのではあるまいか。この作者の歌のおもしろさは僧としての自覚が表現されるためでもあるが、時にはそういうものを離れた所で歌を作るのも作者にとって意味があるのではないかとも思われる。

昭和三十七年一月号 

 (漢字は新字体に、仮名は新仮名遣いに書き換えました。)



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