短歌雑記帳

宮地伸一の「アララギ作品評」


鉢巻して路上にストせる青年等渡船場聞けばやさしく教ふ                 武藤 善友

 「ストせる青年等」が「やさしく教ふ」という違和感みたいなものが、一首を成している点をおもしろいと思った。「ストせる」という語は好きではないが。

南渡る冬の日今日は暖かし雪無き野面(のずら)遠かすむ山                  松井 芒人

 内容は新しくないが「雪無き野面遠かすむ山」という所の弾力ある調べに注意した。

白梅はいま日あたりて輝けり空にうづまきて羽ばたく鳩ら                 小暮 政次

 白梅と鳩との対照がいくらか構成的になるきらいはあるかと思うが、作者の力量を十分に感じさせる作である。視点が統一されている点では「立つ鳩は五百羽あまり白梅の園の上の空騒がしくなりぬ」の方がよいかも知れない。

飯岡の隠居が高校生向きに改めてポーを訳し初むる                    飯岡 幸吉

 作者自身を隠居と言っているのだろうからそこに自ずからユーモアがこもる。軽い歌ながらおもしろい。

我が国に良き豚のたねを広めむと柵の中なる強き豚達                   飯野 真澄

 これもおかしみのこもる歌だ。こういう歌も時にはあってよい。古くは神または貴人だけに用いられた「達」という接尾語が、ここでは転落して豚にまで奉られている。

鉱水に炊ぎし宿の白飯(しらいひ)は紫だちし淡き影おく                   藤田 貞次

 ごく単純な歌で、作者はかすかなものに目を留めているだけだが、それだけで何か充ちている感じである。背後に作者の生が暗示されているためであろうか。

鹿児島の黄楊櫛失ひ惜しみ居ればわが翁十三やより買ひ来て給ふ              土屋テル子

 のびのびとした詠みぶりの中に自ずから風格が感じられる。「わが翁」の使い方もおもしろいし「十三やより」の語もきいている。  

昭和三十九年六月号

(漢字は新字体に、仮名は新仮名遣いに書き換えました。)



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