今日経にしみ崎み崎の如くにも過ぎて遥かになりゆくか人々 土屋 文明
作者が四国旅行をされた時の作で、故人橋田東聲の郷里、中村をバスで過ぎ、四万十川を渡るという歌のあとに出ている一首である。「今日経にしみ崎み崎の如くにも過ぎて」という表現は、古事記の「打ち見る島の埼々掻き見る磯の埼落ちず若草の妻持たせらめ」などを思わせるが、その句法とも少し違うようだ。空間的に遠ざかる思いを年月のへだたる感情に転じたとも言うべく、凡手の及ばぬ秀れた表現だと思う。しかし技巧が目立つというのではなく、一首は淡々として老齢に達した作者の深い感慨を潜めている。結句の「なりゆくか人々」という句法にも注意したい。私は最初「なりゆく人々」の誤植かと思ったが、よく味わってみればやはり「なりゆくか人々」の方がよいようだ。「か」のありなしで感味が違ってくるようである。
市街地の灯のつらなりのまた尽きて月明りある山を飛行す 鹿児島壽蔵
的確な読みぶりである。特に下の句「月明りある山を飛行す」がよい。
膝ぬけてふらふらあるく家の中滑稽ともつかずあはれともつかず 吉田 正俊
「ふらふらあるく」が軽くなりそうで、ならないのは下の句の感慨があるためであろう。ただし佐藤佐太郎氏の作に「一月(ひとつき)もたたぬ赤児(あかご)に話しをり滑稽ともつかず哀れともつかず」(「歩道」)というのがある。
障子しめひとり泣くこと今もあれどかにかくにして十一年過ぎぬ 小松 三郎
この作者の「亡き子」の歌は、技巧を絶した所があり、作者の人柄が直ちに脈打って来るような感じで、心打たれるものが多い。「この月は二度亡き子の夢をみぬ亡き子の我を呼ぶにかあらむ」「年月はいやさかれどもありありと汝が面影は父の心に生く」などにも感銘した。
昭和三十九年六月号
(漢字は新字体に、仮名は新仮名遣いに書き換えました。)
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