十一月号作品評 其一 清水房雄 宮地伸一 (一)
冬寒き日を恐れつつ生命保ちかにかく過ぎし年月なりき
土屋 文明
[清水] 十月号の五首に続き芭蕉の歌五首の内。我を歌っている貌だが、一連中において見るに、植物芭蕉も人間我も同じく寒気を恐れつつ生命を営んでいる存在として、この人間植物同一生命観はかねてから作者独特のもの。一首はそれを露呈せず、淡々と歌っている。 一連中、他の歌の「暖き国」「遠きふる里」は芭蕉の原産地大陸広州をさすだろう。
[宮地] この一首だけ切り離して味わえば、作者自身のことを詠んでいるように見えるが、連作のなかでは芭蕉と作者の生が一体化し渾然としているようだ。そこに私も言い難い感銘を覚える。
言葉にならぬ思ひ意外に多きこと気づく夕べのしづかなる雨 吉田 正俊
[清水] 言語表現の限界の事は、この高手の人にして旦つこの感あるのかと嘆ぜられる。もっともこの上の句は作歌の事に限らぬ、日常の場合をも包含してのものであろうが「意外に多き」と気づく心働きは鋭くこまやかである。それを承ける下の句の転調は、形式的に似て、形式をみごとに脱している。
[宮地] 前評に同感である。
上の句の心情--と言っても知的操作を経たものであるが--から下の句の外界への反応に転ずる呼吸が何とも言えない。こういう手法は、この作者には多いが、特にこの一首は心行くばかりの作である。「気づく夕べのしづかなる雨」は、吉田調というべき、ゆたかな至妙の調べをなしている。
(続く)
(昭和64年新年号)
(漢字は新字体に、仮名は新仮名遣いに書き換えました。)
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