十一月号作品評 其一 清水房雄 宮地伸一 (三)
浅草寺に来りし我に必然に見ゆるまぼろしわれは額づく
金子阿岐夫
[宮地] 「必然に見ゆるまぼろし」は、茂吉が支えられて手を合わせるあの最後の写真の姿であろう。あるいはそこまで考えなくても、作者が年少にして接した老翁の茂吉の面影であろう。
作者の境遇を知って一首の内容や動機を理解することは、短歌にあっては止むを得ない。この歌、結句の「われは額づく」が、少し安易ではあるまいか。
[清水] 第三句「必然に」は一首中によく働いているが、この思いきった句を用いた作者の思いを推測すると、前評に示す二解の後者の方が当っているかも知れない。
作者の父君は、大石田における茂吉先生をお世話し守りぬいた故板垣家子夫氏である。
吾々にしても、浅草寺と茂吉との--例の写真をも含めて--結びつきは直ちに思い浮ぶが、「必然に」とまでは言いおおせない。結句は不要か。四句までで十分一首の内容を成し得る。
カロッサの歩きし道と茂吉の道地図にしるしをつけつつ遊ぶ 石井登喜夫
[宮地] カロッサはドイツの詩人・小説家。
「カロッサの歩きし道」と「茂吉の道」を並べているが、それならば「カロッサと茂吉のそれぞれ歩きし道」とでも言うべきではないか。ドイツ地図などに記入するのであろう。「遊ぶ」は、「心に遊ぶ」の意と思うがそこも言い足らぬ気もする。
しかし俗事を離れた高尚な「遊び」であり、作者の知的な精神生活を暗示する一首となった。
[清水] 上の句は作者としては相当苦心のはてなのであろう。
それにしてもこの句、カロッサと茂吉とのゆかりを考えず、単に作者の心に浮かんだ二人なのではなく、茂吉作品へのハンス・カロッサの登場--『暁紅』中の一首--を背景にしてのものではあるまいか。結びの「遊ぶ」には十分その気配が漂う。そのへんが作者自身詠出の楽しみであったろうし、また一首感銘の限界をなすのであろう。
(続く)
(昭和64年新年号)
(漢字は新字体に、仮名は新仮名遣いに書き換えました。)
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