十一月号作品評 其一 清水房雄 宮地伸一 (四)
峡の空赤く染まりて暮れてゆく青き空より近く見えつつ
矢野伊和夫
[宮地] 上の句はまことに平凡な描写であるが、その赤く染まった空が青空より近く見えるという視覚の把握は、平凡ではない。視力減退の作者がとらえたやや新しい境地であると言えようか。
[清水] 一連五首の中に置いてみると、この把握が実に自然で、そしてまた鋭いものであることが判る。そして、一首のみを取り出してみた場合でも、作者の視力についての事情を知らなくても、読む者を十分納得させる力を帯びている。
この家は時が止つたやうだと言ひ常の勤に子は帰りゆく
市橋りえ
[宮地] 稀に来た子息の、諧謔とも批判ともつかぬような言葉をとらえて、おのずからその風貌をも想像させるところがおもしろい。
[清水] 令息のこの言葉は実に魅力的である。この一首の味わいは実にそこにあるのだが、それが作者自身の言葉でないのが残念だ。その味わいを機敏にとらえた作者の感受力を認めるにやぶさかではないが。作者自身の言葉である下の句は平板のままに終っている。
アルタイカの花のむらさきやさしみて会はぬ七日をささへつつ来ぬ 本間美鶴子
[宮地] 真実心より飾った心を感ずるのは、上の句の「やさしみて」という言葉遣いに起因する。うまい歌だとは思うが。
[清水] 雰囲気によって支えられている歌ということになろう。前評指摘の「やさしみて」もそうだが、下の句にしてもその感が深い。こういう詠法も一つの行き方には違いないが、容易な道ではないはずだ。
(続く)
(昭和64年新年号)
(漢字は新字体に、仮名は新仮名遣いに書き換えました。)
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