フロントガラス照らす光のうつろひて既に先々は動く夕の靄 荒井 孝
車社会となったために得られた一つの新しい自然界の把握である。結句の「夕の靄」は「夕靄」と熟語にしたほうが落ちつくようである。
深酒の後の己れをただに悔い山の湯に居て鳴く河鹿きく 狩野登美次
作者の気持ちは分るが「深酒」とは少々俗ではあるまいか。「山の湯に居て鳴く河鹿きく」も平板に流れすぎるうらみがある。
ラーメン屋のせはしき頃に老いて読むと買ひし定本西鶴全集 大野 一郎
「老いて読むと買ひし定本西鶴全集」とわざわざ言うのは、今も積んだまま読まないことを意味するか。それならそうはっきり言うべきである。
石あげて兄を納むる傍(かたはら)に半ば名の消えし妻の骨瓶 熊沢 正一
埋骨式の時の様子と知られる。「半ば名の消えし妻の骨瓶」は、何といっても写実短歌の強みを発揮した表現である。この妻は、兄の妻なのであろう。