作品紹介

若手会員の作品抜粋



(倉林美千子選)


 尼崎 小泉 政也

眠れない夜がつづけば安らぎを求めつつソウルを訪ね来る吾は

秋という季節が嫌いになったのは君が死んで会えなくなったからです


  三浦 高村 淑子

人間のエゴの極みの仕事かも死にゆく魚に力なし我は

マンボウが餌を食べてくれるのが今一番のよろこびなのです


  浦和 梅山 里香

「幹也君、いますか?」と友ら落ち着きて電話掛けくるバレンタインデイ

チョコレート受け取り汝は大人びし礼の言葉を言ひて手を振る


  京都 池田 智子

サイレンと赤いランプの到着をふるえつつ待つ救急玄関

凍てついた道のキラキラかがやくが二倍まぶしいああ夜勤明け


  東京 臼井 慶宣

眼前に広がる山を吸ひこんで我はスタートバーを切りたり

繰り上がりて本戦出場の決まりたり寝転び仰ぐ深き冬空


  東京 田辺 ともみ

ピーカンの夏の終わりの激しさは君の無謀な青春に似て

手鏡に額をあてて目を閉じる吸いこんでくれ心の痛み


  大和高田 田中 教子

葛城山の雪の斜面を次々に滑り降り来る羊の雲が

子の書きし文字の小さく見ゆる昼ぜん息発作の微かな予感


  横浜 大窪 和子

をちこちに柑橘実る山里の雪降る午後を歩み来にけり

遡り流るる川面にさざなみ立ちいまし海へと水戻りゆく


  高松 澤 智雄

生き方も境遇もみな異なれど共に働きて親しみの湧く

労働に親しみ人と馴れあいてただひたすらに日々送るわれは


  長崎 篁 風人

晴れとほるあしたの路地に撒かれたる水を撥ねゆく光まばゆし

堪へがたき汝(な)がひと言にも老い初めしdepressionを顔には出さじ


  西宮 北夙川不可止

体力の戻らぬうちに出勤し立つに坐るに溜息をつく

春めきて睡気催す午後となりオルゴールの緩やかな調べものうし


  岡山 三浦 隆光

親方の怒声はさほどに悔しからず器用に出来ぬ己が悔し

降る雪の強き風より優しきを初めて知りぬ今年の冬に


  ビデン 尾部 論

雪晴れて分けて舞う白き雲その真下にぞ吾がプロジェクトの丘

隣室に英語読み上ぐる妻の声屋根打つ雨に和して聞こゆる

選者の歌

  東京 宮地 伸一

手術室に入りてよりすでに十時間持ち来し仕事も手をつけ難し

手術してやうやく意識の戻りし汝パソコンに早く触れたしと言ふ


  東京 佐々木 忠郎

娘のくれし紫黒米混ぜて飯を炊く長生きしてと励まされつつ

くれなゐの馬酔木の下にひつそりとかたまりて咲く雪の小鈴はく


  三鷹 三宅 奈緒子

いにしへの悲話をつたふる海女の墓古びしづまれり志度のみ寺に

訛やはらかき友らと別れ帰りくる淡路の島の水仙を手に


  東京 吉村 睦人

現実となること難き想像に心ゆだねてひとときゐたり

思ひても甲斐なきことをまた思ふ思ふことに意味あるごとく


  奈良 小谷 稔

湧く渦はやまず湧きつつ右に巻き左に巻きて潮のいきほふ

小さき渦はほぐるるごとく大いなる渦に呑まれてあとかたもなし


  東京 石井 登喜夫

われはわが一人の思ひ悲しめばこまかき雪が降るよことしも

「素朴なる詠嘆」の道は取らざりしかなしみよつひに人といふもの


  東京 雁部 貞夫

道の辺に菱売る媼一人ゐて吾が掌に乗するその実数粒

吾を招く如くに天目の酒盃一つ何故廉きか宋の世のもの


  福岡 添田 博彬

片手あげて臥しゐしと言ふ火の中に助け求めしや寄るをとどめしや

あはれあはれ炎の中に死にせれば焦げたる頬は布にて被へり


  さいたま 倉林 美千子

咲き盛るアカシアの下に決起の文詠みたりしかな時過ぎゆきぬ

かかる夜は楡立つ丘に行きてみよ草光りニンフが遊びてをらむ


  東京 實藤 恒子

仕事継がむと起き出でて先づ双子座にすわる木星(ジュピター)とわが対面す

いま世界にて最も美しき土星の馬頭星雲の映像を見ぬ

先人の歌

  斎藤 茂吉

ヴェネチアの夜のふけぬればあはれあはれ吾に近づく蚊のこゑぞする

パドワなるGiottoも観たりヴェネチアの流派も見たり幸ふかくして

サン・ピエトロの円き柱にわが身寄せ壁画のごとき僧の列見つ

南方を恋ひておもへばイタリアのCampagna(カンパニア)の野に罌栗(けし)の花ちる


  土屋 文明

吾が子と行くはこの頃稀なりき汗ばめる手を取りつつぞゆく

手につきて走り従ふ幼児の植木の話するは甘ゆるならむ

月島より銀座に歩み来て一皿の西洋料理に子は飽き足れり

ひる寝してたまれる汗をふきたれば胸毛はいたく白くなりたり


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