作品紹介

若手会員の作品抜粋
(平成22年10月号) < *印 現代仮名遣い>



  宝 塚 有塚 夢 *

なんども我を呼んだのは誰なのか誘惑にまどわされ戻れぬ気して


  千 葉 渡邉 理沙 *

鱗状の波紋が浮かぶ川の面に逆さにうつる薄の穂並



  大 阪 黒木 三郎

コンビニをいでこし一歳十か月頃の子を見て我が家へ急ぐ


  高 松 藤澤 有紀子 *

頂きへ連なる一本道を行く我ら光の帯となりたり




(以下 HPアシスタント アイウエオ順)

  福 井 青木 道枝

今を見えぬ幸いに気づく日のあるか大きな時流れのなかに
一年に一度の集いに語るなく別れ来たりぬまなざし残りて


  横 浜 大窪 和子

初めて来し飯田歌会に聞くものか四十年続きし会閉づること
白き帽子被りてすがしき街をゆく歌会はて帰るバス乗り場まで


  那須塩原 小田 利文

楽な暮し願ふにあらず金がほし金あらば兄を扶けむものを
失業の日に備へむと貯めて来し僅かの金も兄に送らむ


  東広島 米安 幸子

四歳が「ミントのお茶」を所望せり読みて貰ひし絵本の中の
開き戸の中のタオルはいい匂ひ何のにほひと顔をうづむる


  島 田 八木 康子

聞きなれぬ我の声には横を向くこの路地に長く飼はるる鸚鵡
門の敷居に座りて待ちきあの垣の角より母の今かまだかと



選者の歌


  東 京 宮地 伸一

おそく帰りし部屋のあかりを点しつつ妻なくて今年は何十年になるか
接近して照らし合ひゐし月と星かくもへだたる一夜(ひとよ)のうちに


  東 京 佐々木 忠郎

愛らしき花と思ひし甘野老(あまどころ)実りて忽ち鈴蘭を侵(をか)す
ふるさとより移して七十余年の鈴蘭ぞ蔓延(はびこ)る甘野老を妻に抜かしむ


  三 鷹 三宅 奈緒子

去年(こぞ)の夏のかの昂揚は何なりし敗戦の弁聞きて寝むとす
若きよりのひとつ志をわれは汲むこの一人なほ見守りゆかむ


  東 京 吉村 睦人

幼な子とバケツに植ゑし稲の苗分蘖終へて穂を出し初む
落花生の花終へし子房が土の中に入りゆく様を幼なの見しむ


  奈 良 小谷 稔

空襲にわが寄宿舎の焼けしかど貧学生にて惜しむ物なかりき
軍事教練の劣等生われ今に悔ゆ平和主義といふ自負なかりしこと


  東 京 雁部 貞夫

一軒のみ緑しるきは君が家蛙鳴きゐし沼すでになく
土手伝ひ自転車駆りて吾が家に来たまひし君その若き日に


  さいたま 倉林 美千子

「夕焼けの忌」には片耳の大鹿も来るかと鳩十の庭に佇む
天竜のあふれて村を浸したるその日の水嵩を記す杭あり


  東 京 實藤 恒子

五味先生の詠まれし「夕山」は桑原城趾ならむと君を先立ててゆく
つかのまの虹の消えたる諏訪の湖(うみ)語ります先生の目交去らず


  四日市 大井 力

物と物交換の世に生まれたる富本銭鋳造再現の趾
銭が至上の思ひを生みし因(もと)のもとここに起れりこの国初の


  小 山 星野 清

オランジェリーの睡蓮の間に時長くありたる遠き旅の思ほゆ
職退きし後の幾年かかの自由夢のごとくにまた思ふかも


(以下 HP指導の編集委員・インストラクター・アドバイザー)


  札 幌 内田 弘

エレベーターのドア閉ぢてゆく瞬間に忘れゐるものあるやうな苛立ち
目の失せて深き海底に棲む魚(うを)光りつつ緩慢に動く悲しみ


  取 手 小口 勝次

三人の女人の赤き紙貼るを横目に見つつ寺を出でたり  p-12
子規を慕ひ千葉より根岸短歌会に通ひし香取秀真は田端に住みき


先人の歌


石井登喜夫の歌

ときのまの沈黙の意味を探りつつ考へてゐて吾にかへりぬ
顧みれば十年ごとにわれ病みて人と争ふこともなかりき
をさな子のむづかる声の力には感動しつつ診察を待つ
三十二年前と同じ病棟同じ窓落ちつきて一人かなしみきざす
午前二時目覚めて再び寝ねがたく万葉集雄略天皇より暗誦はじむ 

 『東楓集』より
最晩年の歌集である。入院先のこころ動きが切ない。石井登喜夫はこのHPの立ち上げに尽力した。二首目などの歌にかつての矜持が忍ばれる。肉体は病にぼろぼろになってもこころは最後まで強くあろうとした歌詠みのかなしい自我が読み取れる。

                     

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