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○ |
東 京 |
宮地 伸一 |
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酒飲まむ日を楽しみし父のことふと思ひ出し涙出でたり
正月も近づきさすがに寒き日々亡き女房の恋しき日あり |
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○ |
東 京 |
佐々木 忠郎 |
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由美子さんより受話器手にせし病む先生ああ九十歳の嬉しきみ声
病みて三月(みつき)か初めての電話に忝(かたじけな)し四十五日過ぎし吾が誕生日のこと |
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○ |
三 鷹 |
三宅 奈緒子 |
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おとろへてゐたまふさまを聴くのみになすなく今年歳晩となる
亡き夫の故里にその歌碑建つと遠く来たまひき君若かりき |
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○ |
東 京 |
吉村 睦人 |
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己が身を「薬の棄てどころ」と詠みましきそれより三月(みつき)のみ命なりき
たはやすく節を変へ得るも才能のうちと思ひてわれ蔑まず |
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○ |
奈 良 |
小谷 稔 |
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大津皇子の母の古墳か閃緑岩の床曝されて冬日に青し
大津皇子の齢は母を超えたりやあはれは尽きず母子ともども |
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○ |
東 京 |
雁部 貞夫 |
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防雪林切り拓きたる跡に建つ「新青森」の駅舎が一つ
収穫の済みし林檎の樹々おほひ雪降りやまず津軽は今日も |
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○ |
さいたま |
倉林 美千子 |
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体操を促す楽を聞きて知る編集室校正室午後も更けしと
一人自在のレイアウトにわが熱中しもの言はず冬の日が暮れてゆく |
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○ |
東 京 |
實藤 恒子 |
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いくたびかの法曹会館の新年歌会よみがへり来て心は奮ふ
渾身の力を奮ひ指揮をする小沢征爾か七分間を |
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○ |
四日市 |
大井 力 |
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弱くなる自らを憎み歌選ぶ刻がまた来ぬこの月もまた
阿らずおごらずいまを見極めてこころ尽さむ至らざる身に |
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○ |
小 山 |
星野 清 |
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遺伝子組み換へ菜種が日本の港湾のほとりに咲きて花粉飛ぶといふ
アメリカの大豆に混じりしアレチウリ豆腐屋の周辺より戦後拡がりし |
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(以下 HP指導の編集委員・インストラクター・アドバイザー) |
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○ |
札 幌 |
内田 弘 |
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土よりの冬のしばれの立ち上がり路地の一画凍りゆきたり
乾きたる球根に命の潜みゐてその単純を沁みて思へり |
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○ |
取 手 |
小口 勝次 |
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仁川(インチヨン)に着くとき見たる西の海黄海の中に大延坪島(チョンピョンド)あり
韓国より帰りて二十日大延坪島を北朝鮮は砲撃したり |
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