作品紹介

選者の歌
(平成26年4月号) < *印 新仮名遣い>


  三 鷹 三宅 奈緒子

つづまりにわが恋しきは大磯の海かかの日々父母のゐて
さまざまに声かけくるる人らゐてこの会堂にもわが場所ありし


  東 京 吉村 睦人

降る雪は次第にしるくなりてきぬブラインド閉ざし校正つづくる
山吹の花を好みし父なりき子規に関りありたりや否や


  奈 良 小谷 稔

暑き夏を凌ぎしミヤマカタバミよわが身よ共に夕風の中
久々に会に加はりし若き友鉄削る仕事を伸び伸びと詠め


  東 京 雁部 貞夫

中富正三のちの俳優大友柳太郎 俳句へ波郷を導きし人
その妻あき女波郷の出自を知らざりしや道後も松山も知らで終りき


  さいたま 倉林 美千子

赤松の林の奥に筋引きて冬日さし入り動くものなし
赤彦保義に続きて房雄伸一あり吾に繋がる系図かこれが


  東 京 實藤 恒子

見付かりし子規の書簡に心痛みしが今日は丸善に手にする『ノボさん』
読まむ心逸りて銀座七丁目『ノボさん』と共に二階の茶房に


  四日市 大井 力

汝が祖父母与へてくれし土地と家守らざりし科(とが)一生負ふべし
ふるさとを捨つる汝がため諦めき天よりしまし預りし地を


  小 山 星野 清

空見るは稀となれるにこの年も「天文年鑑」を買ひてしまひぬ
天体望遠鏡のレンズ買はむと尋ねたる誠文堂新光社小さき店なりき



運営委員の歌


  福 井 青木 道枝 *

LEDの世に遅れたる信号機目を見ひらきて空き地に積まる
甍の間にわずかに見ゆる雪のそら見つめて待てり内なることば


  札 幌 内田 弘

母逝きて三年の日の仏壇を猩猩蝿のよぎる哀しみ
滴りて光を受けて氷柱(ひようちゆう)が軒の南で今日も太りぬ


  横 浜 大窪 和子

あり合はせに独り食事をする夜は赤きワインをあたためて飲む
編みしその手に触るるごと水色の糸目やさしきマフラー纏ふ


  那須塩原 小田 利文

一度(ひとたび)は笑ひ飛ばしぬ退職せしばかりの友が惚けしと聞きて
四月には何処で働きゐるならむ宙ぶらりんの吾の新年


  東広島 米安 幸子

四十五年幾つも作りし三十日蕎麦ことし初めて二つにて足る
魚のスープ音たてのみしを最期とし横たふ汝か朝あさの霜


  島 田 八木 康子

出会ふたび我はたぢろぐ真直なるアンネの深きこの目の力
よく似ると中学生我の言はれにしアンネの眼差し今は眩しく



若手会員の歌


  東 京 加藤 みづ紀 *

大晦日ハノイの街に降り立ちて新年の挨拶現地語で学ぶ



  所 沢 斎藤 勇太 *

自らで自らに買うプレゼント素朴な味の備前の器



  奈 良 上南 裕 *

裂け目より油煙噴きいるバルブ閉め顔をそむけて息を吸いこむ



  高 松 藤澤 有紀子 *

番号を無言で見つめぬ喜びは意外に静かに来るものらしい




先人の歌


石井 登喜夫 歌集 『東窓集』より

朝読みし電車の中吊り広告のこまかき文字が夜には読めず
旅に疲れ早く寝入りし妻あはれふしくれだちし手を胸に置く
青き空の定点に浮ぶ黒点がさまざまに飛行機となりて近づく
丘の上の虹うつくしと歩みきて田川のたぎち幾つかわたる
ふたつ目の若き短き噺をばまなぶた熱くなりて聞きたり
四列車並行をたのしみゐるうちにわが山手線は遅れはじめぬ
やはらかに丘は起伏し羊群れその果てに霞むロンドンが見ゆ
ロシヤ人ら離れて歩き離れて立ち不思議なる存在感を保てり
大寒の朝の日ざしのあたたかさ何の予感か吾をはげます
谷川の音は狭霧の下にありもろ鳥のこゑ冴えてきこゆる

 平成8年発行の歌集から仕事、家族、自然、旅を詠んだ作品をそれぞれ引いた。当ホームページ平成25年2月の「先人の歌」に作者の紹介があるので、そちらも読んでいただきたい。

                     

バックナンバー