作品紹介

選者の歌
(平成26年8月号) < *印 新仮名遣い>


  三 鷹 三宅 奈緒子

三十年へだつればさまざまの恨み嘆き薄れて今は遠世(とおよ)のごとし
この三鷹にのびのびと経し三十年遠き日の少女らと時に睦みて


  東 京 吉村 睦人

一生をかけて償はねばならぬとは何についての夢にてありしか
朱鷺保護の標語考へる子写生する子孵化の映像を凝視する子ら


  奈 良 小谷 稔

孟宗が老い一人住む屋敷まではびこらむとして山より迫る
ほしいままにはびこり止まぬ筍を猪どもよ掘れよ食らへよ


  東 京 雁部 貞夫

文明邸より巡りめぐりて吾が庭に今年も繁るこのアカンサス
十年(ととせ)経て花の咲きしはただ一度このアカンサス葉の繁れども


  さいたま 倉林 美千子

息溜めて今宵篳篥を吹き鳴らすそを愛でたりし父をこころに
吾が前の空気動きてぷるんと鳴る四弦の琵琶抱き弾(はじ)くに


  東 京 實藤 恒子

われのまともに沈みゆく日や月並を打倒し生き切りし子規を心に
ビルの間の公園の一画は檻のなか煙草を吸へるホモサピエンスズー


  四日市 大井 力

山あひの風道をあまた吹きのぼる桜花びら光のなかを
草なかに鹿の落角のぞきゐる維盛五輪塔の下の坂道


  小 山 星野 清

耐震検査に安んじてゐし六角堂大き津波は攫ひゆきたり
海中より拾ひ集めし欠片にて屋根の宝珠を記念に遺す



運営委員の歌


  福 井 青木 道枝 *

山裾の道ふた分かれとなるところ右は日あふれ左は日蔭に
さ夜中に短く鳴りて途切れたるケータイ汝(なれ)の揺るるこころか


  札 幌 内田 弘

誰か後ろに佇む気配に慄きて五月の冷えを追はれゆきたり
ポスターは桜満開地下鉄はどこに運ぶか萎れし吾を


  横 浜 大窪 和子

縺れつつ空より落ちて来し鴉地に触れむとし分かれゆきたり
XPのサポート切られ世の中のパソコンは替る諾々として


  那須塩原 小田 利文

唾と涎今日も浴びつつ新しき職場に働く吾が嬉々として
連休の明けて出でむとする吾に子は付きて来ぬ素足のままで


  東広島 米安 幸子

改修の始まる原爆資料館に並びて巡る子らの後から
原爆はかくも残虐なるものと再現せし人形今に否みゐるか 原爆再現人形


  島 田 八木 康子

庭の葉を摘みて蒸したる柏餅遠き幼き日の香り立つ
笹の葉の小舟浮かべて水の辺に何言ふとなし稀に会ふ子と



若手会員の歌


  東 京 加藤 みづ紀 *

青空の下走る道手に取るはいつもは買わないマンゴージュース



  松 戸 戸田 邦行 *

「傲慢でいてはだめよ」と祖母の言我に足らぬは語彙と謙虚さ



  尼 崎 有塚 夢 *

幸福になる術として銭儲目的にしてはゆめゆめならぬ



  奈 良 上南 裕 *

父の家はダム底に消え公園の芝生にバーベキューをする若者ら



  高 松 藤澤 有紀子 *

言葉だけではないぞと目や舌で気持ちを伝える児に教えらる




先人の歌


歌集 『野のマリア』より

コーヒーの豆ひく香り在り慣れてけさは西窓の照る月のした
イヨンヌ河岸ゆく我に灯りたる船より白き犬が吠えたり
年に一度来るサーカスの終りとなり帰りゆく橡の黄葉降る町
一夜明けて小屋はなかりきサーカスの獣の匂ひ残る広場に
エスカルゴやく久々の心ゆとり河ゆく船の笛ひびく夜を
マロニエの裸木の下にけさ拾ふ死にし小鳥にも白き霧氷(ヴェルグラ)
窓に遠く光る霧氷の森に誘ふ夫を待たせて口紅を引く

作者、長森光代(1922〜2004)はアララギの歌人。1963年に渡仏、ソルボンヌ大学に留学。夫君は画家であったため、フランスに長く暮した。

                     

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