作品紹介

選者の歌
(平成26年9月号) < *印 新仮名遣い>


  三 鷹 三宅 奈緒子

太宰を好む生徒らなりき暮れがたに訪ひ来てさまざまに昔がたりす
熱入れし若き日の授業思ひ出でて暗きこころのややに晴れ来ぬ


  東 京 吉村 睦人

母の好みし捩花幾本か墓石に寄り添ふごとく花茎伸ばす
亡き父の飼ひゐし鯉と病む脚を励まし朝々餌やりし姉


  奈 良 小谷 稔

故里の山より移しし三つ葉つつじ丈高くして悲しみを呼ぶ
菜園にほほづき植ゑて熟るる待つ農の子吾の心なぐさに


  東 京 雁部 貞夫

白河より甲子の道のり六里半定信と文晁騎馬せしならむ
広々とひらくる南湖(なんこ)の松の樹下そば打つ前の麦酒一杯


  さいたま 倉林 美千子

次田さんの憶良論読みさしのままにあり帰り来しわが机の上に
君こそと思ひつきし電話の一言に探しゐし書を賜ふと言へり


  東 京 實藤 恒子

構内になだれ咲く時計草の花をめで今日の万葉講座を始む
切りくれし時計草は花閉ざし己が思考の深まりてゆく


  四日市 大井 力

漢文より大和言葉にこだはりし古事記と聞けるのみにて親し
大陸と言葉同じくしてあらばなどと思ひて慄然としぬ


  小 山 星野 清

控へ目に生きよと友の医師の言へどこのたどきなさ遣らむ術なし
何事もせず休らへば何事も無き己が身と思ふたまゆら



運営委員の歌


  福 井 青木 道枝 *

ピアノ弾く指(および)となりてわが弓手(ゆんで)思いもかけぬひびき奏でる
いにしえの言葉に今日は行きあいて思うよわが持つ弓手を馬手(めて)を


  札 幌 内田 弘

濡れて飛ぶ雀が止まる電線に間(あはひ)ランダムにほどほど並ぶ
彼を切り彼女も切りて向かふうみ落暉の残す臙脂むらさき


  横 浜 大窪 和子

入笠山の森の鶯コロラトゥーラのごと呼び交はす梅雨の晴れ間を
手回しの鉛筆削り遠き日の記憶のごとく置かるる事務所


  那須塩原 小田 利文

吾が車去りしを確かめカーテンを子は閉めしとぞ父の日の夜に
君と漉く色付きの和紙いつしかに淡く染まれり吾が指先も


  東広島 米安 幸子

病み細る憲吉思ひ寝ねがたく「心は疲る」と茂吉嘆ける
アララギに関はり深き憲吉に医茂吉の尽しし文読む


  島 田 八木 康子

濡縁に沿ひて桔梗の伸び立つなか今朝はほころぶ白き一輪
職ひきし夫と少しぎこちなく巡る折々の蓮華寺公園



若手会員の歌


  東 京 加藤 みづ紀 *

滑らぬようゆっくりと上がる坂道を転がりて来る青梅一つ



  東 京 上  かの子 *

着く前に化粧くずれる休日の遠出で眺めるこの広い空



  所 沢 斎藤 勇太 *

梅雨に入るどんよりとした空模様心の中にも雲がかかりつ



  松 戸 戸田 邦行 *

つながらぬ電話をにぎり早足で家に向かいしあの金曜日



  尼 崎 有塚 夢 *

洗いたての空と風とマチの中清められゆくワタシの泥も



  奈 良 上南 裕 *

三枚にて一組の葉を記憶して青きあけびの実の下を去る




先人の歌


先人の歌

吉田 正俊 歌集 『くさぐさの歌』より

ジョッキあげ飲みほす時に片隅の一群にへらへら笑ふこゑあり
吹く風は清き夜空にとよもして土の中なる虫々のこゑ
雷(らい)ふくむ雲のたむろす北寄りにうごける雲のかぎり知らえず
一日を怠けすごして降る雨にすがしくなりし青葉見てゐる
かにかくに夏も終りの夜空とぞ見てゐるうちに星の流るる
夜ふかく庭の木に鳴く一つ蝉夏ふけ方の空気ふるはせて
馬鈴薯を山と積みたるトラック一つ行きなづみつつ峠を登る
くれなゐは長く残りて秋づきし湖(うみ)のかなたの山あざやけし
朝まだき涼しき窓に眠りゐし猫等もすでに去りゆきにけり
蜩のこゑにかはりし暁(あかつき)の虫々のこゑききて目ざむる

 アララギの歌人吉田正俊が昭和三十九年(六十二歳)に刊行した第四歌集『くさぐさの歌』から、この季節の作品を中心に十首をあげた。作歌の上で参考になるところがあると思うので、味わって読んでいただきたい。

                     

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