長森光代の歌『蝋涙』より
寂しすぎると気づかふ我に耳かさず夫は雪ふる河を描きをり
モチーフにするなら貸すと少年は画室に生ける蝶を放ちぬ
きみを慕ふ何千の中のわれの声いよよ届かぬ国に去り給ふ
み心にそぐはぬ歌も作りしが憐み給へきみを目標としたる苦しみ
薬飲まむ眠らばものを思はざらむ逝きし娘に逢ふ夢も見む
新宿駅さして五歳の迷ひ子のわれ歩みゐき父母を探さず
シクラメンにリボン結びて訪ね来し子よ口重きことは変らず
いく度か絶たむとしたる命生きて描きし十五点わが子の個展
この国も街も己も捨てきれず生きてゐる雑踏のなか歩いてゐる
長森光代は、昭和十四年十七歳にて「アララギ」入会、土屋文明の指導を受ける。以後平成九年十二月まで「アララギ」会員(平成五年より「アララギ」選者)
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