作品紹介

選者の歌
(平成27年4月号) < *印 新仮名遣い>


  三 鷹 三宅 奈緒子

母のふるさと穂高に小さき山荘をたてて幾夏かわがたのしみき
松林暮れゆくときのしづけさに一人歩みしかの日々おもふ


  東 京 吉村 睦人

予防接種毎年してゐしインフルエンザ余病を連れてわれを襲ひぬ
空を見上げ雲の動きを見つめをり久し振りなり病室にてあれど


  奈 良 小谷 稔

焼跡のバラック校舎にて民主主義を十七の秋はじめて聴きし
軍事教練を疎みしことを反戦の思想にまでは深め得ざりき


  東 京 雁部 貞夫

磐梯は胸を張れよと呼びかける雪野の果てに父の如くに
道の駅の辛味大根有がたし今宵はうどんの「ぶっかけ」にせむ


  さいたま 倉林 美千子

月光のもたらすわが影淡々し凍てて輝く街路の上に
マンションの高き窓一つ点りゐて男の影の大きく動く


  東 京 實藤 恒子

川渡る神輿の写真のカレンダー掲げて賑々し今年の門出は
川戸を詠みし五味先生の短冊の下ほのかに匂ふ啓翁桜


  四日市 大井 力

三年前の日記に何を思ひてか「聴け土の叫ぶ声」と記してありぬ
何につけても「業やで業やで」とつぶやきし祖母を幼く見てゐたるのみ


  小 山 星野 清

SFの世界にあらず生くる世にハンドルを機械に委ぬる車
そこそこの健康に少し長らへて自動運転の車求めむか


運営委員の歌


  福 井 青木 道枝 *

雪なかより若枝を剪りて瓶に挿す音なく夜半(よわ)を倒れしオリーブ
かの日々の苦しき窓のうち知るやオリーブ葉裏は銀なるひかり


  札 幌 内田 弘

悪党の面構へして鮟鱇が吊るされ鮮魚店は大寒となる
アマリリス乾きて芽吹く窓際に待つまでもなく誕生日来る


  横 浜 大窪 和子

六つ揃ひ居りしグラスの一つ残り今夜(こよひ)ひとりのワインを満たす
理不尽に言はれしことにわれ知らず返ししことば肯ふこころ


  那須塩原 小田 利文

まだ先と思ひゐる間に六年生となりし吾が子が舞台に踊る
小学校最後の舞台に自らの足で立ち子は踊り始めぬ


  東広島 米安 幸子

光にぶき冬空のもと窓の木に一つ動ける何の鳥影
木ささげの細枝うつりつつ仰向けのままに啄むは初めての客


  島 田 八木 康子

何でもなき日も散らし寿司五目寿司母は「漬ける」と鮨を言ひつつ
心の闇を這い上りきて咲く花のやうで気になるノウゼンカズラは


  名 護 今野 英山(アシスタント)

小千鳥のなにを焦りてせわしく歩くひたすら広がる珊瑚の干潟に
霜月の海に落ちゆく日は熱し陰に身をおきその時を待つ



若手会員の歌


  所 沢 斉藤 勇太 *

ハラハラと白き結晶肩に落ち黒きコートに模様を描く



  松 戸 戸田 邦行 *

突然に先生入院の知らせ聞き心を占める「嫌だ嘘だ」と



  東 京 上  かの子 *

お釣りより冷えたあたしの紅い手を君のコートのポッケにいれて



  東 京 加藤 みづ紀 *

辞書に引く線を見つけて思い出す彼の地でこの語を覚えた日のこと



  奈 良 上南 裕 *

仕事減り定時でひけば夜更けまで辞書めくりつつ洋書読みたり




先人の歌


樋口賢治歌集『五月野』「春あらし」より

妻逝きし日のごと春の風荒れてけふ吾がひとり朝はやく覚む
荒々しく吹く今日の風あたたかし咲きさかりたる桜さびしく
二十二年の今日とし嘆くこともなし幼き小さき手を引きて出づ
はるかなることとし思ひやはらげば桜ばな咲く下に来りつ
たどたどし犬くれば犬に寄りて行く小さき者の歩み守りて
膝たゆく行くこの朝の春あらし空にしきりに雲動きつつ
ひよどりはこもり声呼び枝うつる朝のひととき散るさくら花

樋口賢治(1908〜1983)はアララギの編集委員であり、選者であった。今、桜の咲さかる季節に、その哀愁を詠んだ一連の歌を取り上げた。

                     

バックナンバー