作品紹介

選者の歌
(平成27年5月号) < *印 新仮名遣い>


  三 鷹 三宅 奈緒子

さまざまの人の恵みに今のわれ在りと思へばおろそかならず
つひの床(とこ)にいましし扇畑先生と短く言(こと)交し別れしかの日よ


  東 京 吉村 睦人

五年以上になつてゐたのか月一度歌語らひに通ひし甲府
短歌を語り合ふ時誰も皆一つ心となりてゐたりき


  奈 良 小谷 稔

『続々青南集』高く仰げど歌のすべて今の吾より先生若し
先生の杖欲りまししは八十なり大雲取越より十年ののち


  東 京 雁部 貞夫

一字欠けし左千夫の墓に額づきぬ文明先生と来し日思ひて  亀戸・普門院にて
これがかの梓の木なりと示されき五十年へて繁りにしげる


  さいたま 倉林 美千子

国訳漢文大成二十余冊を運び出だし静まる書庫に埃が匂ふ
除湿機の音かすかなるわが書庫に懐風藻の一編を探す


  東 京 實藤 恒子

わが母校に五味先生に守られて短歌講座のこの十六年
学寮にて用ゐし雛の七段飾り遥かなるともどちの声も聞ゆる


  四日市 大井 力

おもむろに雪の雫が軒先にふくらみて次々落ちはじめたり
牡丹雪しき降る奥に目白鳴きゆゑもなく物書く思ひ湧き来ぬ


  小 山 星野 清

わが訪ひて十有余年経し今も映されゐむか沖縄戦のフィルム
ひとりにて日々歩みたるパリの街地図にたどればよみがへるもの


運営委員の歌


  福 井 青木 道枝 *

さみどりに苔むす小道ここよりは湿原の沼のひかりに溶けゆく
大きなる白き羽ひろげ飛びたてり湿原なかをかなたの水へ


  札 幌 内田 弘

ビルの角に移る日溜まりを追う猫の怠惰に吾も同化してゆく
次々に嘘を言ってるお前の目まともになんか見ないぞ居酒屋


  横 浜 大窪 和子

残忍に人を殺むる心の牙いかに生へしかその来し方に
誰に向ひ手を振る人かわたくしを素通りして居る眼差しにあふ


  那須塩原 小田 利文

庭園に光るひと所は滝の流れ泉鏡花の筆塚に近く
射的楽しむ親子あり団子食ふカップルあり二月温かき湯島天神に


  東広島 米安 幸子

教授(ボス)好みのココアの淹れ方伝授され紛争最中のキャンパスに日々
ジュラルミンの盾の並びしキャンパスの何に思はる老いつつ今に


  島 田 八木 康子

激高し止まぬは認知症の始まりと他所事ならずわが巡りにも
どこまでも体の沈んでゆきさうなこの椅子に置く悲しみひとつ


  名 護 今野 英山(アシスタント)

波の音鳥の声すら心にひびく海近き宿のテラスに寝ねて
台風に潰えし島にとどまりて椰子植ゑ花植ゑ人ら生きつぐ



若手会員の歌


  松 戸 戸田 邦行 *

短歌で競う約束をしたはず君の作品はこの本のどこにもあらず



  東 京 加藤 みづ紀 *

眠い目を開けば赤く染まりたる熱海の海から日が昇り来る



  東 京 上  かの子 *

早く来てじょうずにひけた口紅が想いとともに消えちゃう前に



  尼 崎 有塚  夢 *

腐る直前(まえ)踏みとどまらせるストッパーとなりていたり友の言葉は



  奈 良 上南 裕 *

宿跡の青く苔むす石垣をしばし眺めて峠を越える


  高 松 藤澤 有紀子 *
わが子をば見送る心地す六年生が初めて中学部に行く今日は


先人の歌


土屋文明編『子規歌集』(岩波文庫)より

冬ごもる病の床のガラス戸の曇りぬぐへば足袋干せる見ゆ
床伏に伏せる足なへわがためにガラス戸張りし人よさちあれ
まだ浅き春をこもりしガラス戸に寒き嵐の松を吹く見ゆ
くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる
生れながら模様のかたに心得し不折が書ける釣香爐の図
かしは葉の若葉の色をなつかしみここだくひけり腹ふくるるに

 この二月、念願だった子規庵(東京都台東区根岸)を訪ねた。複製ではあるが、子規愛用の座机の前に座り、庭の棚に枯れてさがっているヘチマを眺めた。歌集で親しんでいたこれらの作品が、子規庵を訪ねてみて、これまでにも増して味わい深いものに感じられるようになった。
 (歌集にあったルビは省略した。また、漢字は新字体に書き換えた)

                     

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