『宮脇武夫全歌集』より (昭和十六年七月発行)
大雨の過ぎつるあとの日の暑さ傘乾かししかばつよき香ぞする
添ひ歩む母の丈低してる月の光明しと言ふ声きけば
あたたかき光のなかに老いなみの母の気はひや穂紫蘇こきつつ
母に拠るやすきに過ぎて或る夜(よは)は己(おのれ)が盲ひ居るを愕く
あざやかに色と陰とある夜もありて夢はさまざまの人をたたしむ
旅ゆきて母の音もせぬこの家に七日のうちの一日は過ぎつ
殻牡蠣(からがき)の海藻生(うみもお)ふるをもらひたり駿河の海の沙こぼるるを
糠釘をうちつぐ聞こゆ朝の雨平たくひびくごとくなるなかに
きのふまで刻み急げる墓石を磨くが聞こゆ風に交りて
痰壺をきよめ終りししばらくがわれのひと日のたのしみとなる
宮脇武夫は、中途失明者であり病弱で臥床する日々であった。その生活から聴覚・嗅覚・触覚など鋭い神経と生きた言葉でもって捉え、詩の真実を歌おうと努めた。昭和十三年 カタル性肺炎にて死去。三十六歳であった。
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